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2020/01/20

医療ベンチャー・メドレーの起点は「歴史に学ぶ」——メドレー瀧口氏・IF本間対談

執筆者:

Zero to Impact編集部

118日、東京証券取引所マザーズ市場への上場が承認されたメドレー。2009年に創業した同社は、医療ヘルスケア業界に特化した求人サイト「ジョブメドレー」の提供からはじまり、オンライン医療事典「MEDLEY」、クラウド診療支援システムの「CLINICSオンライン診療」や「CLINICSカルテ」といったサービスを次々に立ち上げてきた。 

創業者で代表取締役社長の瀧口浩平氏は高校生だった17歳で初めての起業を経験したのち、祖父の病気や個人的な経験が重なって、医療という規制の厳しい領域での起業を決意した。だが、創業間もなく医療人材の求人サイトはレッドオーシャンとなった。ダイナミックに事業が成長するわけでもなく、苦悩した日々が続いたという。 

だがその後、ビジネスモデルの転換や規制との向き合い方の変化、さらには幼なじみでもあり、現在メドレーの代表取締役医師を務める豊田剛一郎氏の参画などを経て、急速に事業を伸ばしていくことになる。

メドレーの黎明期から投資家として瀧口氏を支えていったのが、インキュベイトファンド ジェネラルパートナーの本間真彦氏だ。のちにメルカリを創業する山田進太郎氏を通じて、瀧口氏と出会ったという。

 規制の厳しい領域に挑戦するスタートアップがほとんどいない中、医療という領域での起業を選んだ瀧口氏。そしてその挑戦に共感し、創業期から支援してきた本間氏。2人が創業からの10年を振り返った。

 (対談は2019928日にインキュベイトファンド主催で東京・六本木で行われた。会場には起業家や起業志望の若手・中堅ら50名が集まった。対談の聞き手はインキュベイトファンド Community Managerの清水夕稀氏が担当した)

プロフィール

瀧口 浩平(たきぐち・こうへい)
メドレー 代表取締役社長
1984年生まれ。2002年米国法人Gemeinschaft,Inc.を創業。国内外の事業会社及び調査会社・コンサルティング会社の依頼を受けての市場調査/統計調査、新商品のコンセプト開発や市場参入の支援に携わる。 個人的な医療体験から医療への課題意識を強め、事業譲渡後、2009年6月株式会社メドレーを創業。最高経営責任者。

本間真彦(ほんま・まさひこ)
インキュベイトファンド General Partner
ジャフコの海外投資部門にて、シリコンバレーやイスラエルのIT企業への投資、JV設立、日本進出業務を行う。アクセンチュア、ワークスキャピタルを経て2007年にネット事業のシードステージ投資に特化したファンド、コアピープル・パートナーズを設立。2010年にインキュベイトファンド設立、代表パートナー就任。慶應義塾大学商学部卒。

高校生から商売の世界へ

——自己紹介をお願いします。

瀧口:どうも、メドレーの瀧口です。ここに来られている方はある程度ご存じかも知れませんが、起業のファーストキャリアは高校生時代にさかのぼります。2002年、高校3年、17歳の時に、最初の会社を立ち上げました。その会社は、市場調査や分析の受託の会社としてスタートしました。たとえば「テレビCMを打ったら、どの店舗でどう売り上げが変わるのか」といった、調査や分析をする仕事です。 

当然ですが、当時の私は、会社員として働いたことがありませんでした。ですから、提案書や見積書をどう作るかすら分かっていませんでした。当時は、OSで言えばWindowsXPになったかどうかという時代です。ネット上で事業計画の作り方を探そうにも、苦労する。本や雑誌を買って学んだり、推測したりする以外にはないというところからのスタートでした。 

会社を作った時は賢そうな商売をやるつもりだったのですが、最初はアンケートを集めたり、リサーチをしたりというあまり賢そうではない事業からスタートしました。パッケージサービスは作ったものの、いわば受託の会社です。「売りたいモノ」と「実際に売れたモノ」は違ったのですが、商売としては、比較的うまくいった方だと思います。 

その後、ニューヨークでファッションデザイナーを支援したり、化粧品ブランドを立ち上げたり、飲食店をやってみたりと色んな領域に手を出していたら、全体をうまくマネジメントできなくなってしまいました。 

結果的に、軌道に乗っていた受託事業だけを残して、だいたい22歳から24歳までは、借金を返す生活をすることになりました。借金を返し終えた時点で、お取引先に事業を引き取っていただいて、25歳のとき、2回目の挑戦として、メドレーを起業するに至りました。クライアントビジネスも含めると多種多様な事業を観察・経験したので、さまざまな業態のビジネスモデルが頭の中に入っていると思いますし、実需のあるものに対して汗をかくことが好きです。

——ありがとうございます。本間さん、お願いします。

本間:皆さんこんばんは。私はベンチャーキャピタルしかやったことない人間でして。大学時代までは陸上をやっていて“運動漬け”な生活だったんですが、その後ベンチャーキャピタルである、株式会社ジャフコという会社に入って、海外投資を担当していました。 

30歳手前で、サラリーマンとして投資家をやるのではなく、リスクを取って自分で投資をやっていきたいという思いもあって、コアピープル・パートナーズという小さなファンドを立ち上げたんです。そのときにgumiをはじめとしたモバイルゲームへ投資して、リターンを出すことができました。そこから2010年に今の仲間たちと4人でインキュベイトファンドを設立して、今に至ります。

瀧口さんとは、インキュベイトファンドを作ってすぐに出会いました。今となれば医療系のスタートアップは結構増えていて、医師の方でも「スタートアップをやるか」と考える人もいますが、当時はほとんどいなかったんです。 

医療情報サイトなどを運営するエムスリー、当時はソネット・エムスリーという社名だったんですが、彼らが非常に成長していた時期でした。当然、医療って解決すべき大きな問題があるんですが、チャレンジするスタートアップはとても少なかったんです。そのときに瀧口さんと知り合いました。

メルカリ創業者・山田進太郎氏を介しての出会い

——お2人の出会いの場所について教えてください。

瀧口:「IVSInfinity Ventures Summit)」ですよね。

本間:そうそう。その中で、のちにメルカリを創業する山田進太郎さんに紹介されました。山田さんは、最初に起業した会社(ウノウ)をZynga(ジンガ)という海外のゲーム会社に売却したところでした。 

少しアイドリング期間のようなものがあって、そこで瀧口さんにエンジェル投資をしていたんです。会場で山田さんに「こいつ、すごくいいんですよ」と瀧口さんを紹介していただいて、それで一度話を聞かせてよという話になったんです。インキュベイトファンドのオフィスは当時、六本木・榎町のビルにあったのですが、イベントが終わって、そのビルの1階のカフェではじめてゆっくり話しました。

瀧口:少し補足すると、今は「B Dash Camp」をはじめとして、起業家や投資家が集まるイベントは増えていますが、当時はIVSだけしかなかったんですね。 

山田さんが、「投資家の方々が皆いるし、すぐ投資に繋がらなくても業界に入るならIVSにくるといいよ」というアドバイスを下さったので、参加してみようと思ったんです。やはり会ってすぐの人間に出資するのは、人間なかなか難しいと思います。何回か会っていれば信頼も生まれますし、最初に会ってからの成長の差をお見せすることもできる。それくらいしかインターネット業界でPRIR的なことをしていませんでした。2012年なんで、設立から3年がたった頃です。

正直IVSでは本間さんとさほど長くお話しなかったので、印象はあまりないんです。実際に「投資家と経営者」としてお話したのはそのあとですよね。当時、まだ本間さんはギラギラしていたんですよ(笑)。

本間:(笑)

瀧口:当時は個人で運営されていたファンド(コアピープル・パートナーズ)もまだ残年数があって、新しく立ち上げたインキュベイトファンドを作ったばかり。だから、「VC」というよりも「起業家」の印象が強かったのを覚えてます。

本間:当時のコアピープルは3億円のファンドだったんです。これをファンドと言っていいのか分からないくらいの規模で、個人でお金を預かっていました。ですから、とにかく投資家と起業家を一心同体でやっていたんです。

当時の瀧口さんは、私と年齢は離れているんですけど(編集注:本間氏が年上)、結構どっしりと構えている印象でした。だから「上からアドバイスする」みたいな形ではなくて、パートナーとして話すようなお付き合いでした。「とにかくこういうことをやりたい。医療の業界のスタートアップは少ないので、そういう人を探していた」といった話をしていたので、それだったら一緒にやれそうだね。同じ目線でアイデアを出さなきゃ。という感じでやっていたんです。

瀧口:私のメンタリティとしては、本間さんと私の関係は「投資家と経営者」なんです。もちろん私も株主の1人ではありますが、2人の関係でいうと経営者として株主の皆様に委任されて事業をやっているという原理原則でお付き合いしています。

「今の延長の会社ではない。インターネットサービスだ」

——高校生の時に最初の起業をしたんですよね。それはどんな理由からだったんですか。

瀧口:親の子育ての影響もあるのかなと思います。姉は普通に月額のお小遣いでしたが、私は小学校低学年の時は、「問題集を1ページ解けたら1円」とか「模試のトップ10位に入った教科×単価」という制度だったんですよね。だから(お金を)使いたいなら稼ぐ、というのが染み付いたのかなと思います。

——メドレーの事業アイデアの着想について教えて下さい。多くの事業を見てきた中でどうして「医療」だったんですか。

瀧口:まず、「インターネットサービスをやろう」と思ったんです。影響としてはグリーの田中社長の影響が強かったと思います。田中社長とはグリーを始めるかどうかという時期に知り合ったんです。

 当時のグリーはSNSの会社。先程お話したように、私がマネジメントに苦労していた時代に、グリーの成長を横目に見ていました。本当に驚くほどのスピードで成長していく姿を見て、なぜ大きな商売になっていくのかというのを理解することに時間を使いました。グリー以外にも、当時インターネットで伸びていたいくつかの会社についていろんな図を書いたり、スプレッドシートで財務を分析したりしてみた結果、インターネットサービスをやることに決めたんです。

「医療格差の課題」が生んだメドレー

瀧口:当時はインターネットを活用したBtoBの事業をやろうと思っていました。まずは自動車部品の販売サイトをやろうと考えたんです。

私は10代のころ、1989年製の「ジャガーXJS」という車に乗っていたんです。高速道路で緑の煙を出して故障したこともあるんですけど(笑)。例えばそれはラジエーター回りのポリタンクが壊れて冷却水が漏れたものだったんですが、それを修理するにも古い車なので部品が見つからないという「負」の経験をしていて、型番管理された中古流通サイトがあると便利なのにと思っていました。

加えて、当時のカーナビの渋滞予測の精度もあまり高くありませんでした。自分で予測した方がよっぽどいいと思ったくらいです。自動運転の未来も少しずつ語られるようになっていた中でインターネット技術やデータを使って、出来ることがたくさんありそうだと思っていました。それで車に関するインターネットサービスをやるつもりで前の会社を譲ることにしたんです。

一方、そんな時に個人的な医療体験が重なりました。なるべく人の医療体験を個人的に利用したくないので、表に出す話はある程度限定しているのですが、自分の祖父が胃がんになってしまい、胃の全摘出をしたんです。そのときの体験を通じて、「患者やその家族が適切な知識や情報をもとに、医療に対して納得のいく意志決定するのがこんなにも難しいことなのか」ということを痛感したんですね。また、東京都と地方の医療格差も実感しました。この2つは解決しなければいけない大きな問題だと感じ、自動車業界ではなく医療業界の負を解決することに時間を割くべきだと考えたんです。

 そこからいろいろなことを調べ、医者の友人に話を聞いていると、自分が経験したことについて、たくさんの人が同じような思いを持っていることがわかりました。前回の起業での経験を通じて、「みんなが困っていることを助けることには価値がある」と考えています。

それで医療領域を掘ってみようと。医療業界には患者の医療体験を変えていくような強いインターネット企業が見当たらず、そういう会社を作ることで価値が発揮できるように思えましたし、「こういうモデルで、長期思考で、根気よく取り組めばうまくいく」と信じられたので、会社を作りました。

—そこで最初に立ち上げたサービスが医療従事者の求人サイト「ジョブメドレー」なんですね。サービスを提供するにあたって、医療の課題を自ら現場に入って体験したと聞きました。

瀧口:とある病院にインターンをさせていただき、経営企画のような仕事をしました。経営分析をする上で、まず病院の支出をみたんですね。コスト構造を調べてみると、結局コストがかさんでいるのは人件費や採用費といった、人に紐づく部分。しかし、最もコストがかかる部分にも関わらず、病院側は一般的な事業会社が行うほど綿密には、予算計画を立てていませんでした。

私が1社目の会社で最初にぶつかった壁は「予算のないところから受託案件を引き出すことはほぼ不可能である」ということでした。そもそも予算を積んでいないところからはお金が出ないので、どの予算項目から発注をいただくか?ということを思考する日々でした。しかし、医療の現場では予算という概念があまりないケースもある。それを面白いと感じたんです。24歳くらいの頃でしょうか。 

サービスローンチからすぐ、市場はレッドオーシャンに

——そこから今のビジネスモデルにたどり着いたということですが、創業からの5年間、一番大変だったことはなんでしょうか。

瀧口:今振り返ると恥ずかしいことはたくさんあるんですけど、大枠何をすべきかは当たってたのですよね。ただ、やり方の引き出しが足りなかった。結局ウェブサービスを提供するなら、サービスの良さで戦う必要があります。しかし、その戦い方に対する調査が不足していました。20096月に会社を作ったときは、外注でサービスを作ったんです。 

当時は「リーンスタートアップ」のような考えもしておらず、とにかく多くの機能を詰め込んでいました。スカウト機能、メッセージ機能など、今思うとあと2年くらいかけてじっくり見極め作り込んでから出すべき機能を、前倒して詰め込んだんです。ですがユーザーを集めるところついてはほとんど何も分かっていない状況でした。それがサービスリリースをしたばかりの11月のことです。

本間:この話を聞いて皆さんも感じられると思うんですが、彼はすごく観察力が鋭いんです。一方で瀧口さんがインターネットの土俵でやることになったときは、正直窮屈そうだった。できればやりたくない、アンフィット感は外から感じられるくらいでした。それを徐々にどうやって解消していくか。そこを見つけて、経営者としての瀧口さんが変わったと思います。 

ジョブメドレーは求人サイトなので、ピュアなインターネットのマッチングサービスのビジネスモデル。なので、これが「どういう力学でサービスが伸びるのか」というのが腹落ちしてくるとパフォーマンスが出せます。ですが、本人が腹落ちしないとうまくいかない。そのときに、彼が得意としているビジネスデベロップメントの部分と、ジョブメドレーというサービスを同時に伸ばせるようになって、彼自身もぐっと成長したのを感じました。

瀧口:そもそも20096月時点では競合は少なかったんです。当時は前年にエスエムエスさんが上場したばかり。ですがリーマンショックがあったこともあり、11月にサービスを始めるとなったとき、リクルートさんやプロトさんをはじめ、人材大手がほぼすべて参入していました。いきなりレッドオーシャンになり、初期のユーザー集客で頼ろうとしていたリスティング広告の単価も急騰しました。

当時、医療の採用市場では看護師がホットでしたので、まずは顕在化している市場を取りに行こうと、最初のターゲットを看護師にしました。

ですがすぐに、看護師をメインターゲットにすると伸び悩みそうだ、と気づいたのです。こういうときには、すぐにピボットしないのが大事だと思っています。苦しくても半年もやっていると、何とか売れるんですよ。結局そのあと1年くらい看護師メインで苦しい中数字を作りつつ、顧客数を伸ばしていきました。

そんな中、ちょこちょこと採用が決まる職種があったんです。それが歯科衛生士でした。試しに34カ月ほど歯科衛生士の案件ばかり営業をしてみました。その結果、顧客を取れば取るだけ歯科衛生士の決定数が伸びたんです。今でこそ売上比率は低いですが、ジョブメドレー成功の原体験ですね。ジョブメドレーには、すでにユーザーが付き始めていて、競合他社が持っていない求人があればそれは決まるのだなと。そういう小さな気付きを地道に繰り返して売り上げを築いていきました。

創業5年で売り上げはようやく1,000万円超え

瀧口:メドレーの歴史って、2015年くらいのことから語られることが多いのですが、実際のところ2014年の3月くらいに、ようやく月の売上が1,000万円を超えたんです。サービスを始めて、4年半目のことです。個人で受託ビジネスをやっている頃だったら、23カ月で1,000万円の売上を作れたのにな、と。自分たちより後に出来た会社にあっさり抜かれていく中、情けないし社員に申し訳ないという状況でしたね。そういう中でしたので「ようやく利益が出た」ということで、どっと疲労感がでてしまったんです。自分はインターネットビジネスにこんなにも向いていないんだ、さすがにもう辞めようかとも思いました。

そのときは本間さんに投資して頂いたあとだったんです。そのとき「瀧口君はピボットした方がいい。医療じゃない方がいいね」とも言われました。

本間:補足というか、弁明というか分からないんですが…。インターネットビジネスって細かいことの積み重ねなので、ダイナミックに動いて、バンバン売れるというのはあんまりないんです。5人くらいでずっと我慢して我慢して……とやっていかなければなりません。そんな彼を見るのがつらくて。

もっと大きい会社で面白くなっていくのは、社員数が50人、100人と超えてから。マネジメントをして、カルチャーを作って——自由度が出ると経営は面白くなるんですが、2014年頃のメドレーってその前夜の状況。1,000万円くらいの売り上げということは、社員数も1015人。求人事業を伸ばすといっても、彼自身はエネルギーを持て余している気がしたんです。

だからそう言ってしまったのかも知れませんが、「もっと違うことができれば、もっと展開できるのに」と思ったんです。インターネットのビジネスは多角化していくことも多いので、そういうことをしてもいいんじゃないとは言っていました。結局彼がやる気ないというのなら、私も株式を売るよ、というところまで話をしたこともあります。

瀧口:そう、それで今後どのような方向性にすべきか、じっくり検討してみたんです。この領域には個人的な医療体験からくる青臭い「想い」から入りました。しかし、医師ではない自分がミッションや思いを持って取り組むことで、つらい思いもたくさんしてきました。仲良くしていただいているつもりのお客様に裏で「医者でも看護師でもない青年が、金目当てでやっている」と言われてしまったこともあります。もちろんビジネスである以上、事業として成り立たせるために努力することは大事なことです。でも、面識ある方に陰でそういうことを言われてしまうと結構堪えますよね。

そういった背景もあり、今の事業を残したまま、サイトの構成はそのままで別の領域に変えるか、ミッションに従うかどうするのかと迷いました。ピボットの思考実験です。その一環として、今一度ビジネスモデルを見直しました。

当時のジョブメドレーは、PV数が伸びればそれがユーザー数の伸びに繋がり、ユーザー数が伸びればそれは応募数の伸びに繋がり、それが最終的には採用の決定数の伸びに繋がっていました。そして、その決定数を単価でかけ算した数字をKPIとして追いかけていました。商売は一般的に仕入れから考えるものですし、因数分解としてはこれが普通ですから、私も本間さんも、エンジェル投資家でアドバイス下さっていた方々もそれでよいと考えていました。

しかし、このタイミングでそのKPIモデルを、顧客数×顧客事業所あたりの平均売上として作り直してみたとき、ジョブメドレーという事業が全く違うものに見えてきました。

当時の数字ですが、顧客を増やすために費やしたコストは半年で回収できているように見えました。成果報酬型なので、顧客を増やすことは売上に直結するようには直感的には思えなかったのですが、試しに少しコストをかけて顧客数を増やしてみようと考えたんです。やってみると、面白いように顧客数が増えることで売り上げが伸びる。顧客数を追求することで、成長することができると確信しました。そこで、ニッセイキャピタルさんや(グリーの)田中さんから資金を出して頂いて、それを全部新たな顧客の獲得のために投資したんです。そのあたりからメドレーの業績は勢い良く伸びていきましたし、認知も少しずつ上がっていったように思います。

本間:黒歴史が終わったんだ(笑) 

——4年間、暗中模索を続けて、ようやく成長する収益モデルが見えてきたんですね。

瀧口:「今の状況はどこに投資すると事業が伸びて、社会に貢献できるか」というのが明確になったことで、アクセルを踏むことができるようになった、ということですね。それからというもの、どこに投資すべきかという意思決定を一層重視するようになりました。

代表取締役医師・豊田剛一郎氏の参画

——そのあとすぐ、2015年2月に代表取締役医師の豊田剛一郎さんが参画することになります。

瀧口:そこから4カ月後くらいたった頃です。あらためて「医療業界でチャレンジしていきたい」と決めたわけですが、そのタイミングで信頼できる医師と一緒に経営をしていきたいと強く思うようになり、アメリカの病院に勤務していた豊田にFacebookでメッセージを送りました。 

豊田とは小学校の時からの知り合いです。当時はとにかく成績がよくて抜群に頭がいいな、という印象でした。その後しばらく連絡を取ることもなかったのですが、医師と共に経営をしていくということを考えた時に、豊田の顔が浮かびました。

 代表を一緒にやるというのはとても怖いことです。その時初めて会ったというような人とは、やっぱり一緒にやれないんです。豊田は私が知っている医師の中でもメドレーに一番フィットしていると思ったので、声をかけて誘いました。


——豊田さんが参画したときの本間さんの反応はどんなのものだったのでしょうか。

本間:起業家と向き合う立場から見て、瀧口さん本人としては思うことがたくさんあったんだろうなと感じていました。

 豊田さんを迎えるにあたって、彼は自分が5年間代表を務めてきた会社の「共同代表」という立場を提示しました。これだけでも難しいことだと思いますし、株もその時点で自分の持分の4割くらい渡しているんです。私はVCの仕事をして20年くらいたちましたが、こういうCEOは見たことありません。 

5年間自分がリスクを取ってやってきた会社です。その成長のために必要な人物であり、昔からの知人でもあるといっても、この意志決定ができるのはすごい。逆に、そこまで瀧口さんが賭けたからこそ、豊田さんも引き受けたんじゃないかと思っていて、メドレー史上、もっともいい意志決定のひとつだと思います。

瀧口:同級生じゃなかったら、こういう話にすらなっていなかったと思うんです。同級生で、そのあともたまに会っていましたし、飲みにも行っていたんで。

彼のキャリアは、東大の医学部にストレートで入って医師になった。そのあとは25歳くらいでアメリカの医師免許も取ったんです。それでアメリカで医師をやったあとに、電話の面接だけでマッキンゼーに入ったんです。同級生の中でもきれいなキャリアトップ3くらい。その実績に裏打ちされた頭脳や努力があるのも知っています。

 親しかったので、彼の人間としての色んな側面を知っていました。だから意志決定しやすかったと思っています。私は大学も行かずに起業しましたが、自分のキャリアに対してはそれなりのプライドも持っています。ですが、同じ価値を認め合う方がわかりやすいじゃないですか。結局株式の4割くらいを渡しました。もともと「上場する頃には株は半々くらいにしよう」と話していましたが、数年先に豊田と話した際に「別に割合を増やさなくても、これで十分だよ」と言われて今に至ります。

 ——もう少し組織作りについて教えて下さい。2014年以降、メドレーは毎年倍々で人材も事業も成長しています。今までも起業家としてチーム作りをしてきたかと思いますが、数百人の組織を作るまでに大変だったことはなんですか。

瀧口:そもそも人を1人雇う方法すら分からないような、まったく経営を知らないところから始まったので、「調べて、動く」というクセが染みついているんです。また、当時から疑い深い性格もあって、社内制度一つ取ってみても「この制度ってそもそもいるんだっけ」といつも考えています。例えば「休暇を夏季、お盆に必ず取らないといけない」みたいなところから疑って、組織設計をしています。この事業を作るならこの事業のためにどういう組織が必要なんだろう、というところをまず考えています。

 たとえば京セラの稲森さん(京セラ創業者の稲盛和夫氏)がアメーバ的に経営するならこう数字のモデルを作るんだろうな。それに合わせてこんな組織やKPIをつくるんだろうなと考えたり、SaaS領域でもGoogleが追うKPIAtlassianが追うKPIは違うので、共通するのはどんなことで、違うのはどんなことだろうかと、実際に中の人に聞いたりしています。それは私に「調査」というバックグラウンドが染みついているからかもしれませんが。

本間:これもスタートアップでは普通ではない考え方だと思います。最近は変わってきているかもしれませんが、日本のスタートアップのモデルって、リクルートやサイバーエージェント社をモデルにして、「モチベーションをどう上げて、みんなで頑張る仕組みを作るか」というところに組織作りの力点を置くというのを議論していることが多いんです。

 ほかに瀧口さんのような考えをするのは、私が知っている限りではMonotaRO創業者でLIXILにいった瀬戸さん(LIXILグループ取締役 代表執行役社長の瀬戸欣哉氏)くらい。みんな一生懸命やるんだけれども、「頑張り」にこだわる、いわばガンバリズムに陥ってしまうんです。これに陥らないでパフォーマンスを上げられるのか、パワーを引き出すのかということを、いったん現場を引いたところから見て、ゼロベースで考えています。

 もちろんどのスタートアップもガンバリズムだけで働くことを考えているワケではありません。ですが、もしそれを外したらどうなるのかということを考えていくことは、スケールするスタートアップを作るためにより重要になってくると、今まで以上に感じています。

 感性が鋭い社員のアラートを見逃さない

 瀧口:友人の経営者に聞くと、自社の社員とはあんまり飲んでいないんですよ。飲むときも、特定のメンバーに偏らないようにしている。それがみんなにとってフェアだろうと考えてそうやっている。

 ですが私は、評価についてはすべての社員とフェアにしつつ、自分と合う人、性格が合う人たちと飲みに行くんです。そうした方が「あの人最近スランプですよ」とか「あの人最近こういう変化があったんですよ」という雑談が聞こえやすくなってくるんです。

 そういう中で、感性が鋭い人の違和感のようなものは、すごく重要視した方がいいなと気づくようになりました。たとえばCTOの平山(メドレー取締役CTOの平山宗介氏)は、「なんとなく組織がまごついている」というのを敏感に感じるんです。もうね、センサーみたいなものなんです。誰も気づいていないかもしれないけど、絶対何か潜んでいる、と。それが組織的な問題であれば制度を変えることもあります。そういうアラートを意識しています。

 大事なのは、性格が合う投資家

——ここからは、皆さんから来た質問に答えて頂きたいと思います。

瀧口:(スクリーンに表示された「投資家の選び方」という質問を見て)まず、投資家は自分とどれくらい性格が合うか見極めた方がいい。結局は性格の合う投資家です。

 基本的に、事業がうまくいっているときや気持ちよくコミュニケーションができているときはみんないい人なんです。ですが、お互い人間なので、うまくいっていないときにはそうしたコミュニケーションがとれなくなるときもあります。

 例えば、「有名な起業家の先輩に資金を入れてもらったらうれしい」と思うかも知れませんが、自分と合わない人を入れてしまうと、せっかくのアドバイスにしっくりとした感覚を持つことができず、それを効果的に組織に還元させていくことが難しくなってしまいます。

 逆に「この人に何を教えて欲しいのか」「何をして欲しいのか」については具体的に言っています。エンジェルとして入っていただいた方々にも、都度都度で具体的なお願いやご相談をさせていただいていました。「投資していただきたいが、こういう関わり方はしたくない」というメドレー本位のお願いをすることもありました。相手に応じて投資のタームも大体こちらで用意しましたし、細かなところまで自分で考えました。

 ちなみに本間さんには「進太郎さんと太河さん(East Venturesパートナーの松山太河氏)の出資しているスタートアップとは相性いいんだよね」と言って出資していただきましたよね。

本間:まったく記憶にございません(笑)。

 ですが、彼は幅広い株主に当たっていて、決める前にいろいろなコミュニケーションをしてきたと感じます。あと、「投資家」という言葉を聞くと、「投資家」という1つのカテゴリに思われるかも知れません。ですが、エンジェル投資家とベンチャーキャピタルではものの見方も違います。でもその相性って最後は人と人の関係性で決まったりします。その人の行動力学、経験、他の投資などをしているか。リファレンスも取れますし。それは取った方がいいし、取ればどんな人か大体分かるので、それくらい慎重に選んでいいんじゃないかと思います。

——ちなみに瀧口さんは本間さんにどういうことを求めていたんですか。

瀧口:本間さんはハッパのかけ方がすごく心地いい、「お兄ちゃんキャラ」なんですよ。もっとスケールを大きく考えよう、という話をよくしていただきました。

本間:私は瀧口さんがもっとスケールの大きいところで活躍できると思っていたんです。それこそ暗黒時代から、窮屈そうにインターネットのPVUUという数字を見ていたけど、そういうんじゃなくて、ガンガン買収したりして、大きく動くんだろうなと。

 例えば山田進太郎さんは今では大きな組織を回す経営者になっていますが、もともとはプロダクトタイプの人。アプリのUIを一晩中作っていてもパフォーマンスを出していました。瀧口さんはマネジメントやカルチャー作り、買収など、自由度高く経営ができる環境で大きく力を発揮するのではないかと思っていたので、これからのフェーズが大事になります。時代が彼に追いついてきたんじゃないでしょうか。

規制を超えるために大事なのは、きちんと問題を伝えること

——では会場の質問から……「規制が多い複雑な産業・市場で心がけたことは何ですか。具体的によかった施策、ダメだった施策を教えて下さい」こちらをお願いします。

瀧口:難しいんですけど、規制をちゃんと理解するということが必要です。まず土台にあるのが法律です。医療に関しては、医師法や薬剤師法などいろいろな法律があります。ここの理解が難しいんです。

 次に、医師会や学会の作る「ガイドライン」です。これは大体がエビデンスを元に作られますが、そうでない場合もあります。

 そして慣習。医療には保険点数がつくものとつかないものがあります。つかないものは「自由診療」と呼ばれ、自由診療には美容整形や海外で認可されているものの日本では未認可の医薬品を使うケースなどが含まれます。そのため、保険点数がつくものを一般的な「医療」と考えることがコンセンサスとなっています。この慣習も「見えない規制」として存在しています。

 法律やその他の規制に関しては究極的に私たちがどうこうできる話ではないですが、困っている人を助けるというのは社会全体の仕事ですから、ポイントは何だと考えるのかということを政治家や学会、省庁に伝えるということを大切にしています。社会のために何が正しいのかを未来志向で、ちゃんと説明する、根気よく取り組む、ということが大事だと考えています。

 具体的によかった施策というのは、そういった課題についてきちんと情報提供するスタイルに変えたことです。

 今の日本はとても便利な世の中ですが、それでも困っている人は本当にいるんですよ。例えば引きこもりの子どもがいます。そういう子を自治体や精神科医と一緒にオンライン診療を通じて支援しようとしたとき、ガイドライン上できなかったことがあったんです。患者の安全性を考えてのルールとは言え、目の前の子どもや心配されているご家族の力になれないことに悔しさを感じました。

 ですがあとになって、それは(ガイドラインを議論している人たちが)判断するのに必要な情報が得られていないことも原因のひとつだと分かったんです。例えば引きこもりの支援に精神科医がオンライン診療を活用しているという事例について、議論している人たちが知らなかった。日本で最も利用されているオンライン診療システムを提供する企業として、情報提供をしっかりと行うべきだったと反省しました。

 「規制を理解する」というお作法も大事ですし、難度の高い規制と向き合うのであれば、弁護士など法務の専門家が常に社内にいるような環境を整えるのがいいと思います。ですが、そこから先のお作法は「とにかく客観的な情報提供に徹する」ということがいいと思います。

——つぎはこちら。「ビジネスモデル構造化のプロセスについて教えて欲しい」という質問です。

瀧口:よくビジネスモデルの図解をしている本があるじゃないですか。ああいうのを読み込むのでいいと思います。あと、コンサルティング会社が書くようなオペレーション図やデータの遷移図、そこを自分でもかけるように努力していくと、ビジネスモデルの構造化はできると思います。

 財務モデルについては、今検索するといっぱい出てくると思います。「投資銀行が教える●●」といったタイトルの、“お作法本”もたくさんあります。同じ事業でもモデルの書き方はいろいろあるので、そういったものに取り組んでみると良いかなと思います。

 ——(会場から)VC、事業家それぞれの観点で、事業ドメインの選び方を教えて下さい。

瀧口:何を基準に選びたいのかによるかと思っています。本当に青臭い気持ちがあるんだったら、その気持ちで事業を始めないと後悔すると思います。でもほとんどの場合はそうでもないんです。私は本当に、本当にいろいろなことが重なったんで「医療の課題をなんとか解決したい」と思ったんです。

 でもたった一度の原体験が人生を賭けるほどのきっかけになることってなかなかないですよね。これからも悲しいことや怒るようなことがあったとして、それと同じようなことがこれまで何回くらい起こるのかによると思います。1年に1回怒りがあるなら、それはもうテーマを見つけたようなモノだと思います。今は「怒り」や「憤り」から事業が生まれる時代。怒れる先を見つければいいんじゃないかなと思います。

本間:違うアングルから話をすると、好きなことから考えると堂々巡りになると思います。なので、端的に「勝てそうな領域」を見つけるべきだと思うんです。圧倒的に得意、勝ち筋が見える領域を抽出するのが大事だと思っています。

 あとは直接的な体験。自分のまわりで「同じようなことが23件同時に起こっているな」というときは、注意して考えるようにしている。「これって自分が気になっていることと同じ事象じゃないか。これって繋がるんじゃないか」という感覚があるときがたまにあるんです。そういうときは注意して自分の考えをまとめるんです。

瀧口:起業家がその時代に始めることって、流れがあるんですよ。例えばラクスルとメドレーは似ているんです。古い産業に対して、最初はECっぽいアプローチをしていたけれども、そこからいろいろと変えていきました。事業モデルが似ていると、投資家とのコミュニケーションも似てくる。もちろん経営者の性格が違えばズレは出てきます。ですが、結局同じ時期に起業しているんですよ。そういう人たちって。

 ミクシィとグリーだって、作ったタイミングって数日しか変わらないんです。5年後10年後にならないと分からないんですが、そういうものがあるんですよ。私たちは既存産業のデジタルトランスフォーメーションで勝負しましたが、同じ時期に「アプリで勝てる」という猛者はみんなアプリをやりました。Gunosyやスマートニュースのほか、ゲームもブラウザゲームがアプリに変わるくらいのタイミングでした。「まだそこに鉱脈が残っている」と思った起業家はゲームをやっていましたね。

本間:あと私が気にしているのは「変化率」。これは好きとか得意といったことに関係なく、「何が今、変化しているのか」にだけ集中して考えていく。ゲームでも医療でも、何でもいいんですけど、とにかくひたすら変化していることを挙げていって、その中から自分にフィットするものに順位を付けていくんです。そういうのもアリだと思います。

——最後にお2人からメッセージと、今後10年のビジョンについて教えて下さい。

瀧口:起業家は本当に大変な仕事だと思います。

 さっき本間さんと話していたんですが、何人かの起業家の年齢と、そのとき起きた事件と、プライベートで何があったかということを年表みたいに書き出すと面白いんですよ。そこに業績や時価総額なども載せているんですが、例えばグリーさんの上場前後のタイミングはとんでもない伸びを記録している。モンスターみたいな会社です。そういうのを見てみると、歴史から学べることも多くて、結構面白いんです。まずは身近な歴史で学ぶ感覚を掴むと、もっと古い歴史を見てもヒントを得られるようになります。

 今年の4月、10周年でコーポレートのメッセージを「医療ヘルスケアの課題を解決する」というものから、「医療ヘルスケアの未来をつくる」に変えました。医療体験はきっと変わっていきます。今の感覚を持ったままで、1年後、2年後、3年後となれば、「あ、こう変わってきたかも知れない」と私のことも観察できるので、是非やってみてもらいたいと思います。

本間:今日の瀧口さんの話で、起業家がマネできることは、「自分で調べて考える」ということ。日本は起業家の数が少ないので、他の国では実現できていることができてなかったりします。特に規制産業にチャレンジしている人は少ないので、実は全然何もなされていないということは多い。だから、世界ですでにあるのに日本にはないものとか、他の業界にあるのに自分の業界にないものは意外とあると思っています。

 とにかく起業家が少ないので、挑戦するのに優位なところ。起業家とディスカッションしたり、自分自身で調べたりすることに時間を取っても損はない気がします。我々も手伝いできることもあるかも知れないので、そういうところを一緒に頑張っていきたいと思います。 

Zero to Impact編集部

寄稿者

VCが運営するスタートアップ・VC業界の情報発信マガジン「Zero to Impact」を運営しています。起業家の魅力や、スタートアップへのお役立ち情報を発信します。ベンチャーキャピタル「インキュベイトファンド」が運営。

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