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2020/01/20

Origamiが2012年から見ていた「Pay」の未来

執筆者:

Zero to Impact編集部

2018年末、大手もスタートアップもモバイル決済市場を巡り、さまざまなキャンペーンを繰り広げた。これは中国でのAlipayWeChatの興隆や、そうした決済プラットフォーム上での多様なサービス展開をみて国内参入が加速した印象があるが、今や古参ともいえるOrigamiの場合、だいぶ走り出し方が違う。 

Origami Payで注目されるOrigamiの創業者である康井義貴氏は、2011年ごろから「オフライン」のECというビジョンを持っていた。小売市場のうちEC化された部分は極めて小さく、国内大手ECですら取扱高は34兆円程度 だが、「小売店の店頭でモバイル端末で決済する」という販売方法を「配送のないEC」と捉えると、その市場規模は140150兆円と巨大になる。

「この巨大市場を目指すには、やるべきこと、やりたいことは山ほどある。」 

そう話すOrigamiの康井氏は、2013年当時の日本のスタートアップ業界では極めて大きな資金調達を実施。2015年にシリーズB2018年にシリーズCと資金を調達している。Origami創業前には米国の名門VCに投資家として在籍して米中のスタートアップ投資を手がけていた康井氏は、大きなビジョンを掲げて急成長する米国や中国のようなスタートアップ企業を生み出したいという。語り口は謙虚だが、ビジョンは大きい。現在の日本のキャッシュレス決済の状況も、ほんの序章に過ぎないと康井氏は話す。 

その康井氏を2012年のOrigami創業初期からベンチャーキャピタリストとして支援しているのがインキュベイトファンド General Partnerの本間真彦氏だ。創業前から仕事を通して互いに良く話しをする存在だったというが、それにしても康井氏が起業を決意したとき、具体的な事業計画やサービス、説明資料すらない状態で本間氏は投資を実行しているというから驚きだ。 

そんな2人が2019520日に公開での対談を行った。インキュベイトファンド主催で東京・六本木で行われたトークイベント「THE FIRST ROUND」での2人の対談には、起業家や起業志望の若手・中堅ら50名が集まった。

(対談の聞き手はインキュベイトファンド HRマネージャーの壁谷俊則氏、編集はITジャーナリストの西村賢氏が担当)

康井義貴(やすい・よしき)

株式会社Origami 代表取締役社長。1985年、カナダ・トロント生まれ。ニューヨークなどで幼少期を過ごし、10歳から東京に在住。シドニー大学留学、早稲田大学卒業後、リーマン・ブラザーズでMAアドバイザリー業務に従事。その後、シリコンバレーの大手VCDCM Venturesで米国、日本、中国のスタートアップへの投資を手掛ける。2012年、Origami(オリガミ)設立。

本間真彦(ほんま・まさひこ)

インキュベイトファンド General Partner。ジャフコの海外投資部門にて、シリコンバレーやイスラエルのIT企業への投資、JV設立、日本進出業務を行う。2001年よりアクセンチュアのコーポレートデベロップメント及びベンチャーキャピタル部門に勤務。2003年より三菱商事傘下のワークスキャピタルにてMonotaRO、ベンチャーリパブリックの創業投資からIPOを経験。2007年にネット事業のシードステージ投資に特化したファンド、コアピープルパートナーズを設立。gumi やポケラボの設立期、創業期での事業投資育成を行い、大きく成長させる。2010年にインキュベイトファンド設立、代表パートナー就任。慶應義塾大学商学部卒。

2010年の出会いのとき、康井氏は名門VCの投資家だった

――康井さんから自己紹介をお願いできますか?

康井:はい、ぼくは海外が長いのですが、トロントで生まれて、その後にアメリカのニューヨークに行き、10歳のときに初めて日本に来ました。これまで海外と日本を行き来する生活をしてきました。Origamiという会社を始める前は、シリコンバレーにあるDCMというベンチャーキャピタルのファンドでベンチャー投資をしていました。本間さんとは、その頃に出会い、その後の2012年にOrigamiという会社を創業しております。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

――ありがとうございます。本間さん、お願いします。

本間:インキュベイトファンドの本間です。もともと大手ベンチャーキャピタルのジャフコに所属していて、僕はベンチャーキャピタルしかやったことがない人間です。大学卒業して20年以上ずっとベンチャーキャピタルをやっています。海外のベンチャー投資の経験が長くて、基本的にハイテクのベンチャーに投資する仕事をやってきています。康井さんとの出会いは、私と今インキュベイトファンドで一緒に代表をやっている和田が創業したポケラボというゲーム会社に、DCMさんから投資をしてもらったのがきっかけで、そのときに初めて康井さんにお会いしました。 

――本間さんは、ポケラボを創業されていたんですね。

本間:はい、初めて康井さんに会ったのは2010年です。ちょうどポケラボを創業して軌道にのってきたころです。当時はソーシャルゲームがすごく盛り上がっていて、DeNAGREEの携帯ゲームが盛り上がった時期です。実はこの動きというのはアメリカや中国にも同じような流れがありました。DCMは中国やアメリカのゲーム会社にも多く投資していたベンチャーキャピタルファームで、日本でも、同じようなナンバーワンを捕まえに行くぞ、ということで日本にDCMは進出して来たんですね。いまWiLというベンチャーキャピタルをやっている伊佐山さんが当時のDCMのパートナーで、そこで一緒にチームを組んでいたのが康井さんでした。DCMからポケラボに投資してもらえることになって、これから攻めるぞ、というときの役員会で会ったのが康井さんとの最初の出会いでした。

 ――康井さんは、そのときの印象を覚えていますか。

康井:今では考えられないと思いますけれど、当時、ポケラボはガラケーのゲームでした。僕らは、かなり早くからスマホにシフトしようと言っていたような時期でした。確か本間さんとは秋葉原のポケラボのオフィスで最初にお会いして、そのあとすぐ一緒にシリコンバレーに行きました。サンドヒルロードやスタンフォードにも一緒に行きましたよね。いろいろツアーしていくうちにどんどん仲良くなっていきました。

本間:あのとき、DCMはシリコンバレーのスタイルを持ち込んで、日本のベンチャー企業の目線をグッと上げたいという話をしていました。それでシリコンバレーがどういうところなのか一度一緒に見に行こうと誘ってくれました。DCMのオフィスはシリコンバレーのちょうど真ん中にあって、康井さんと僕と、ポケラボの経営陣のメンバーも全員一緒に行きました。5日間ぐらいかな、結構長く一緒にいましたね。

康井:ポケラボのピッチ資料を、ひたすら一緒に作っていましたよね。

本間:ポケラボの創業者2人が英語があまり上手じゃなかったので、ピッチ資料は康井さんと僕が2人が裏側で作ったりしていて、コミュニケーションする機会がすごく多かったですね。

――資料作りでコミュニケーションを取りながら、将来の話もしていたんですか?

本間:そうですね、当時から康井さんは将来は何をしたいという話はしてましたけど、今は修行しながら次に何をやるかを模索する時期という感じでした。だからNPOをやったりね。もっとベンチャーはグローバルに出なければダメなんじゃないかとか、中国の会社はもっとスケールがでかいとか、そういうことを話しながら、特に会話のゴールを決めずに「こういうことをしたい」という議論していました。

――康井さんとしても、そういう思いを当時から持っていらっしゃったということですね。

康井:そこまで具体的に「これだ」ということではなかったのですが、ベンチャーキャピタルの仕事というのは1000本ノックのように毎日いろんな会社の投資検討をするので、それを通じて、だんだん「ああ、やっぱり、自分はこういうことに興味があるのだな」という気持ちを固めていった感じですね。 

海外で生まれ育ったスポーツ好き、キャリアは金融でスタート

――これまでの康井さんのキャリアみたいなところも、もうちょっと若い幼少期ぐらいからお話いただけますか?

康井:10歳のときに日本に来ました。子どもの頃は、ひたすら運動をしていました。毎日アイスホッケーやテニスをやっていました。

――テニスの腕前は、すごいらしいですね。

康井:今はもう全くできないですけど、昔はすごく練習していました。高校に上がるころ「僕がテニスの道で食っていくの、どう思う?」と父親に聞いたのですが、反対されてすぐに納得しました。 

そのあと自分で商売を始めてみようと思って物を仕入れて販売するということをやっていました。でも、高校生だから、ほんとにオママゴト程度でしたけれど、全然、大きくならない。新聞を読むとビジネスでは億の話ばかり出ているけれど、自分はどれだけやっても絶対に億の単位には届かないなと思いました。それから大学に入ってすぐにファンドに入りました。ほんとに何も考えていなかったので、大きな仕事がしたいと思って。 

その頃に、いくつか投資案件を手がけました。20歳の終わりぐらいからは、リーマン・ブラザーズという会社で、いわゆる長期インターンシップですかね、当時は、ひたすら毎日会社に行って手伝いばかりしているという感じでした。

――会社というのは日本の?

康井:日本の会社です。六本木ヒルズのオフィスで働いていました。2006年か2007年のころですね。20084月に大学を卒業して、そのままリーマン・ブラザーズに入社しました。それまでの間に1年間シドニー大学でも学んでいました。

リーマン・ブラザーズに入社したのが20084月です。僕が内定をもらった頃はリーマンの株価が最高値をつけていた時期だと思います。

――なにか悪いことが起こりそうな雰囲気ですね(笑)

康井:内定時の最高値からは、どんどん株価が下がってきて、入社する4月には結構下がっていました。毎日株価チャートを見ていたのですが、入社して半年後にはリーマン・ショックが起こりました。

――長く居続けようという感じでもなかったと思うのですが、半年とは思っていなかったんじゃないですか?

康井:はい、2年は在籍しようと思っていました。当時「222」というのが、よく言われていいました。投資銀行かコンサルに2年ほど行って、その後に2年でMBAか何かに行って、さらに2年でPEPrivate Equity)かVCVenture Capital)に行って、というのがすごくはやっていました。僕は何も考えずに、漠然と222と考えていたのですが、全然違いました。もっと早く終わってしまい、「さあ、どうしよう」という感じでしたね。

「リーマン・ブラザーズは絶対つぶれない」と、前日までみんな言っていたのです。でも日曜日の夕方に、急に「全員、出社するように」という連絡が来ました。これはただ事じゃないなと思いましたね。

出社すると、「明日の新聞の一面にリーマンのチャプターイレブン(※日本の民事再生に相当する米連邦破産法11条のこと)が出るぞ」と言われて、「あれ? つぶれないって言っていたのに」っていう感じでしたね。でも、当時は割とドライな環境だったので、その会議が終わった30分後には、みんなレジュメを回し始めていて、先輩に「俺のレジュメのフォーマットを使え」とか言われて、どこに出すかみたいな話がすぐ始まっていましたね。

結局、リーマンはバークレーズと野村證券に買われました。ジャパンは野村に買われていたので、いったんほぼ全員が自動的に移管されました。どうしようと思っていたときに、たまたまDCMの創業者のデビッド・チャオが日本に来ていてお会いすることになりました。

――それでDCMに入ることになったんですね。DCMは何年ぐらいいらっしゃったんですか。

康井:それこそ222じゃないですけど、2年という話をお互いしていたので、2年いて、次どうしようか、と考えていました。

本間:僕が最初に会ったときの康井さんは、「DCMでパートナーになることを考えていない、DCMに入っても出世を目指してはいない」と言っていましたね。2年たったらビジネススクールに行くか、起業するしかないと、すでに言っていたので、比較的ドライな設計にはなっていましたね。「じゃあ、起業じゃないの?」みたいな話をしていましたね。 

資料もプランもなし、コンセプト説明だけで「やろうよ」と合意

――実際にOrigamiを設立されたのはいつですか。

康井:20122月です。

――そのあと、本間さんと最初に会うことになるんですね。ちょっとここに当時、康井さんが本間さんに送ったメールがあるんですが……、2012年5月4日、ちょうど7年ぐらい前ですね。ゴールデンウイーク中のものですね。「ごぶさたしています。元気ですか。ぜひ、またランチでも」というメールを出されています。

本間:ポケラボの投資が2010年ぐらいです。その後に2年くらい仕事として康井さんに会っていたので、個人的にどうしたいという議論は特にしていませんでした。ただ、康井さんはシリコンバレーのときも「あと2年で辞める」という話を散々していたから、すぐに「これは来たな」と思いましたね。このメッセージは突然来たものですが、そうか辞めるのかと。

――この時点で悟っていたのですね。

本間:悟っていましたね。私はちょうど香港で休暇中だったんですけど、帰ってきたら、すぐ会おうということで約束をしたと思います。

――それで「ランチですが、11日か17、18あたりどうでしょう」とあるのですが、ランチはどこでされたのか覚えていますか。

康井:六本木のミッドタウンの横のカフェでお会いしましたよね。 

――そのときは、どんな会話だったのですか?

本間:何かプレゼンがあって、こういうことをやりたいという話ではなくて、康井さんがボヤッと考えているコンセプトを教えてもらったんですね。2012年当時は、ちょうどスマホが、ゲームも含めて立ち上がっている時期でした。だいぶ皆さんがスマホを持つようになってきていた普及期です。それで、スマホはゲームだけではないんじゃないかという予感がありました。康井さんはスマホを使って「オフライン」のコマースをやりたいと言っていたんですけど、僕には康井さんが何を言っているか最初はよく分からなかったんです。

――オンラインじゃなくて、「オフライン」?

本間:はい、オフライン。スマホを使ってオフラインのコマースと言われても、パッとは思いつかなかったんですよね。でも、彼が説明しようとしていたことは結構シンプルでした。スマートフォンを持っていれば、店舗に行ったとき、その場でスマフォからEコマースにアクセスして商品を買って、そこの店舗でピックアップすれば、どのみち同じ店舗で買うことと一緒だよね、ということだったんです。当時、リアルのショップやリテールの人たちも、そこまでAmazonや楽天にやられていたわけでもないので、そんなにコマース、コマースという機運もなかったんですね。だけど、オンラインとオンフラインがスマフォで繋がる、それができるようになったらめちゃくちゃ面白いんじゃないかというのを、ざくっと話していたのを記憶しています。

――康井さんは、どんなことを覚えていらっしゃいますか。

康井:すごく久々だったのでうれしくて「辞めたんですよ」と言って、最近はこんなことを考えているという話をさせていただきました。もともと、よく一緒に仕事をさせていただいていたこともあって、あのカジュアルなランチの途中で「いいじゃん、もうやろうよ」みたいな感じで盛り上がったのを今でも覚えています。 

エクイティファイナンスでシリコンバレーのような会社を作る

――ランチで「やろうよ」と盛り上がったと。本間さんとしても、やろうと?

本間:ポケラボを一緒に支援していたときにすごく思ったのは、当時、起業家でグローバル思考がすごく強い人や、そういう妄想力、展開力があるタイプの人は、若者の中でそんなに多くはなかったんですよね。僕自身そういうことにすごく興味があったし、DCMも、どうやったら中国のベンチャーに負けない日本のベンチャーを作れるかということを考えていました。康井さんのように、それをやれる人は結構少ないと思っていたこともありますし、ポケラボの創業者の後藤貴史さん、佐々木俊介さん、康井さんは、ほぼ同年代で、後藤さんや佐々木さんが起業家として成功していたのを見て、僕は康井さんの心の中にマグマがたまっている感じに見えたんですよね。 

――康井さんが?

本間:康井さんの中で「俺がやるしかねーだろう」というマグマがあるのをすごく感じていたので、これはもう、やろうよという感じでしたね。ただ、何をやるかが、あんまりピンと来ていなかった。分かんなかったんですよね。カジュアルなチャットなので、まあいいよ、やろうよっていうので、それは決めたというのはありますね。 

――これも覚えていらっしゃいますよね。カフェで会ってから1カ月後ぐらいの6月25日に本間さんが康井さんに送ったメッセージですが、「僕が、こうあったらいいなと思うイメージです。これを2~3枚のスライドで説明してやればいいんじゃないかと。ちょっと興奮してきました」と書かれています。ここからスライドを作られたのですか?

本間:基本的に康井さんは、ミーティングのときも、資金調達のときも、スライドは使わないんです。口頭だけで口説き落とすタイプなので、基本的にはスライドは使わない。だからこそ、自分が何をやりたいかを伝える能力はすごいんだと思うんですけども、さすがにそれだけだと……。

康井:ちゃんと、紙を作ろうよっていうことですよね(笑)

本間:そう。何か作ったほうがいいんじゃないかとね。それで「ブレストして話したことって、こういうことじゃないの?」と送ったのが、このときですね。 

――これは、僕もあとから聞いてびっくりしたんですけど、最初にゴールデンウィークに声をかけてランチをして、その1カ月後にこういう会話をしているんですけど、このときは、すでに投資を実行しているんですよね。

本間:そうなんです。530日ぐらいには投資しているんですよね。

――すでに大きな仕掛けは考えていた?

康井:大きな仕掛けというか、やっぱりDCMのときにシリコンバレーや中国への投資をたくさん見てきたので、そういうエクイティファイナンスによる会社の作り方をしようということですよね。ただ当時の日本では、まだ一般的ではなかったですね。

――2013年にKDDIとDACから資金調達していますよね。

康井:そうです。やっぱり、アメリカと日本、あるいは中国と日本の差はすごく開いていて、ゆえに日本からも、シリーズABCD、という形でやっていく大きな会社をやれたらいいね、という話は、いつもしていましたね。

本間:ただ、そういう話を聞いて、当時は本当に困ったなあっていう感じでしたね。「初めにこうしましょう。これからコンセプトを作っていきます」と言って調達するんですよ。サービスも何もリリースしていなかったんですけど、調達することだけ決まっていたんです。 

――何か約束された話があってというわけではなく?

本間 :そのときはありません。ただ、とにかくアメリカのシリコンバレーみたいな会社を作ろう、中国の会社みたいに大きく成長しようということはミーティングの中で、お互いの思いとして確認していました。そうなると、やっぱり初期からフルスロットルでいかないと、とてもじゃないけどコマースで大きいマーケットは取れないぞということだったのです。

それは共通認識としてあったんだけど、いまから7年前の日本の資金調達環境で、まだサービスやプロダクトといった物がなく、さっきの文章レベルのコンセプトで資金を集めなきゃいけないということだけは決まっていたというね。でも、とにかくやってみようと。やってみないことには始まらないから、できることから頑張ってみようということで動き出したのが、そのときです。 

――そのとき康井さんは、自分としてはチャレンジングなことを言っているという感じだったのか、それぐらいは普通にやっていくべきだろうという感じだったのか、どんな感覚でしたか

康井:本当に熱中していたので、あまりプランABとかではなく、やるかやらないか、やれなかったら倒れるか。たぶん、そんな感じだったと思います。 

――おもしろいですね(笑)。そうやって起業が始まったということですね。実際に有言実行されていて、今、このあたりを振り返っていただくと、どんな時期でしたか。

本間:実は、このときも、まだサービスインしていないんですよね(笑) 

康井:そのときも何もないんです、プレゼンもなくて。それでも出資してくれると。 

――それはすごいですよね。何かコネクションがあったとか?

康井:覚えているのは、当時KDDIの高橋専務が登壇されるイベントがあって、ここに一緒に出ようということで、イベントに参加し、そのイベントが終わった後に懇親会に出ました。

本間様:話しかけに行きましたよね(笑)

康井:話しかけに行って「僕はモバイルで、O2Oのコマースのプラットフォームを作ります。」って言って、握手しました。それで「別途、会ってください」ってお願いしました。

この頃に、本間さんと話していたのはO2Oの会社で、オンラインとオフラインを両方やるって言っていたのですが、いざ資金調達が成功しても、とてもじゃないけれど足りない。オフラインのコマース、要はペイメントって、とてもお金がかかるのです。

でも、いずれにしても営業は絶対必要だから、とにかく加盟店を獲得しようということで、その当時はひたすら飛び込みで営業をしていました。今でいう加盟店みたいなものをとにかく集めるぞと、がむしゃらに走った記憶はありますね。ECでニッチなセグメントの店舗であったり、その商品を持っていらっしゃる方に対して、110件以上の小売事業者に会いに行っていたので、社内の人間全員が常に移動中みたいな、そんな時期でしたね。 

本間:当時は、今みたいな店舗決済という概念があまりなかったんですよね。タブレットを置いてクレジット決済をやる、レジの代替をやりましょう、というのは少し出てはいたのですが、今みたいなキャッシュレスペイメントという概念も、まだ別に中国にあったわけでもありません。

新しいコマースをやるにしても、Amazonや楽天という牙城がある中で、どこに穴があるかというのはそれほど明確ではなかったんです。ただ、今でもぴたっと一致しているのは、リアルを取りにいかなければいけないということでした。リアルでEコマースをやっていない人を取りにいかなきゃいけないというのは、デイ・ワンからあって、そこは今も脈々と続いているところかもしれない。

――当時から、だいぶ今の世界が見えていたということなんですね。

康井:当時からよく社内で話していたことがあります。ECって、画面の中でポチっと買うボタンを押すわけですよね。でも、商品は目の前にない。そこには壁がある。商品には触れなくて、翌日発送されてくるわけですね。これはECだよね、と。10人にいたら10人が「これはECだよね」と言うと思います。

今度は、ここをポチっと押すけれどこの壁は取っ払われていて、商品が目の前にあるから発送しなくてもいいですよね。そうすると、これを持って帰るということもできる。これは、なんかECの気もするし、ペイメントした気もするよね、と。画面をポチっと押すのではなくて、シャリーンって音でも付けてカメラでスキャンをしてボタンを押してもらって、これを持って帰る。「これって、リアルコマースじゃないの?」という話はいつも社内でしていました。

 「そのデータを取れたら、マーケットはECよりでかいよね」という話はいつもしていましたね。今みたいなスマホ決済というより、コマースは、もっと小売に近付くはずじゃないかという話はいつもしていました。

 構想から実現まで3

――実は、今日を迎えるにあたって、いくつかの記事を読ませていただいたのですが、2012年の創業当時はファッションから入ってきたけれど、小売全体のマーケットにも可能性があるのではないかということも考えていたし、スマホを使って何か新しい体験みたいなことができるんじゃないかという感覚があったということですか。

康井:やりたいことはいっぱいありましたね。ただ、できることなんてその100分の1なんですよね。

 本間:そういう意味でいうと、資金調達してからの3年間、Origami Payをリリースするまで、Payはいつやるのかと感じでしたよね。さっきお見せした創業時に作った初めてのコンセプトスライドにも書いてあるんです。「オフラインとオンラインのパーチェスを1つの場所でつなげる」と、スライドのいちばん下にあります。これは投資したときの2013年の頭のことで、実際にOrigami Payがちゃんとリリースできたのは2015年です。構想が具体化した時期は、たぶん2015年ぐらいの中盤ぐらいですけどね。

 康井:201510月に「Origami Pay」のサービスを開始しました。

 本間:その頃になってはじめて、話していたことに近付く一歩をようやく踏めた感じです。お互いのフラストレーションレベルでいうと、2013年~2015年ぐらいは、やりたいことはすごくあるけど、それを実現する方法とお金がなかったというのも事実ですね。

 ――でも、そこは信じてぶれることなく、芯を強く持ってやり切れていたからこそ、2015年以降のペイメント事業につながったということですね。

康井:2015年にシリーズBが実現できたことは大きな出来事でした。

 ――でも、すごくないですか。康井さんのフルネームと2013年って入れて検索すると、ちょうどKDDIとかDACが投資したときの記事が出てきて、当時の記事を見ると、タクシーでも決済ができて、店舗でもスマホでその場で買えて、ということを言っていますよね。まさに今、現実で起こっていることをその当時からおっしゃっています。私がすごいなと思うのは、その実現までには数年あるわけで……。

康井:ちゃんと我慢してくれる投資家がいるからです。

 本間:モヤモヤとしながらね(笑)

 ――話は少し変わりますが、初期スタッフのほとんどが今も残っていらっしゃっている点についてです。良くあるのは、社長のことは信じているんだけど、結果が出ないとチームを維持するのはなかなか大変だという話です。康井さんは一緒にやるメンバーと、どうコミュニケーションを取っていましたか。何か意識していたことがありましたか?

康井:そこは今でもすごく恵まれているなと思っています。Origamiは、私のマンションの一室からはじまっているのですが、最初の6人は、まだ1人も辞めていません。今日もオフィスで働いています。ずっと同じ釜のメシを食ってきた仲間なので、運が良かったといえばそれまでですけど、ドラマチックなケンカもなく仲良くやっていますね。

 本間:Origamiは結構、不思議なチームバランスなんですよね。康井さんはワンマンにやるのかなという感じがしていたんですけど、そうでもない。みんなが意見を言う。例えばプロダクトのUIのブレストをしていても、康井さんはボコボコにされたりするんですよ(笑)はじめからやっていたメンバーと、よくランチミーティングをやっているんですけど、本当にガチンコで議論しています。康井さんが何かを主張しても「それは、ヨシキ(康井氏)だからやれているだけだろう?」みたい反論が正面から出てきたりしてね。

 山頂に向かう1合目でも常にビジョンの話をすることが大事

――康井さんは「運が良くて」と謙遜されて話されてましたが、何か心掛けていることがあるんですか?

康井:真面目な話でいうと、とにかくビジョンだと思っています。朝起きて、歯を磨いて、なぜ毎日会社に行くのかが大切だと思います。何をしたいからここに来ているのか。それはいつもみんなで話し合っています。山登りでいうと、今日もまだ1合目か2合目で、やることがまだ何もできていない。でも、成し遂げたい世界みたいなものは、みんなで常にすり合わせをする。そういう話はいつもしています。そこは、すごく必要かなと思っています。

 ――ぶれずにずっと発信し続けていくとか、今の会社の状況がどうであれ、逃げずに、自分たちは何のためにやっているかを伝えていると。

康井:日本では、ベンチャーが大手に対してチャレンジすることを諦めてしまうことが多いです。僕らもECや決済の分野は大手がたくさんいるので、無理だということを何度となく言われてきました。でも、アメリカでも中国でもそうなのですが、ベンチャーにはベンチャーの戦い方があります。ビジョンをはじめ、戦略的にどう事業を作っていくのかがチームで共有されていると、外の声に惑わされず割とみんなコミットして動けるのだなというのは、これまで体験してきました。

 ――それが組織文化として、根付いている感じがしますか。最初の6人だけではなく、その下のディレクター、マネージャー、いろんなところから採用もされていますけど、皆さん定着してやっていらっしゃいますよね。

康井:最初の6人には「俺らは若いので、会社が大きくなったら経験を積んだ大人たちがたくさん入ってくるから、よろしくね。」という話はずっとみんなでしてきています。自分たちは、たまたま一緒にスタートしたチームだけれど、当然6人全員が何百人もの組織を引っ張っていけるわけじゃない。だから、時にはマネジメントから退いていって、専門家として黒帯になっていくこともあるからね、という話です。そういう話が当たり前にできる仲間なのです。

 だから、結構早いタイミングから、初期の社員がマネージメントではなく専門性の高い業務に付いています。でもマネージメントが偉いわけではないので、黒帯で活躍できる人は、それ以上に評価されています。

 ――組織の変化に合わせて適材適所のロールもあるだろう、ということですね。

康井:そうですね。その辺の意識は、みんな強く持っている会社組織かなと思います。

 本間:ここは不思議なんですけどね、めちゃくちゃ営業をしなきゃいけない組織なので、昼間に僕が行っても人がいないんですよ。オフィスに行っても人がいない。ただ、Origamiは孤高のベンチャーなので、ベンチャー界隈とあまり接点がない。役員クラスのメンバーも業界では知られていないと思うんです。でも会社の中に入ってみると、ビジョンや組織に関する議論なんかをすごく遅くまでやっていたりするんです。そういう意味では、何をやるかを比較的に純粋に、飽きずに、青臭くやり続けているところなんです。

 会社をどう成長させるかを毎日考えている

 康井:あと、創業社長って、とにかくリソースを集めるのが仕事なのです。株式会社のフォーマットを使い、資本主義の中でとにかくリソースをかき集め、夢をちょっとずつ形にしていかなくちゃいけない。このとき、僕が二大リソースだと思っているのは、人とお金です。いかにいい人を集めて、数字を伸ばし投資家にも賛同いただくか。それを毎日すごく考えています。

 2013年当時の調達額も大きいと言われましたが、そこからシリーズが上がっていくにつれて調達額も増えていきました。そういう中で、インキュベイトファンドさんみたいに大きいファンドは日本のVCはまだ少なくて、シリコンバレーと比べると日本はファンドサイズが基本的には小さいのですね。

 じゃあ、そういう環境で、本当にグローバルな、それこそ中国のベンチャー、アメリカのベンチャーのように成長を果たしていくには、どうすればいいのか。それはOrigamiがということではなく、日本のベンチャーみんなが成長していかなきゃいけないと思うのです。

 そんな中で、今はデジタルトランスフォーメンションという言葉に象徴されるように、大企業の皆さんこそ、イノベーションを起こすために、デジタルを使って変わっていかなければいけないという状況にある。デジタルとどう付き合っていくか、ベンチャー投資を活用していこうということになり始めています。日本を代表する企業の方にどんどん会いに行くということは、粛々とやってきたように感じます。

 ――本間さんは、それを横で見られていて、どんな印象でしたか。

本間:行動に移すかどうかで、だいぶ違うと思うんですよね。自分たちは10億や20億円を調達していいと思うかどうか。そして実際にロングリストを作って本当に大企業の社長に会いに行こうと思うかどうか。

 ――本当に会いに行くかどうかは、差はありますね。

本間:営業面でもそうで、例えばリテールで、ユニクロの柳井社長に会いたいけど、どうしたら会えるかをちゃんと考えるスタートアップ企業というのはそんなにないと思うんです。会えるはずがない、会っても仕方ないと思ってしまいがちです。

――もしかしたら、この中にいる方で、柳井さんに会いたいという人がいるかもしれないですよね。

本間:会うために、誰と誰に紹介をお願いしたら会えるのかというところまで考えたり、実際に「紹介してください」と頼んでいるか。そういうことはしていないだろうと思うんですね。100億、200億円集めたいと思ったとき、そのためには、どういう人たちがいくら出せるかをちゃんと調べるかどうかですよね。

 調べるのに必要なものは、そんなに難しい情報ではないと思うんです。日本で足りなければ、中国に行けばいいし、シリコンバレーにもいる。世の中、金持ちはたくさんいるぞ、というふうにちゃんと考えて、アクションを取れるかどうか。これは当たり前のことだけど、なかなか普通はやれていないですよね。康井さんは、それを普通にやりますと言って、実際にやるところがモンスターだなと思っています。それぐらい考えているんです。

 ――モンスターというのは、大変な褒め言葉ですね。逆に康井さんにとって本間さんはどういう存在でしたか。起業前後から一緒いるベンチャーキャピタリストというのは、起業家にとって、どんな存在だと思いますか。

康井:実は、僕にとって本間さんはすごく特別です。なぜかというと、Origamiには初期から投資をしてくださっていて、本間さんの目線というのは「純粋にこの会社をどう良くするか」なのです。本間さんとは何年もずっと、Skype等で定期的にミーティングさせていただいています。

 ――今日お越しの皆さんの中には、これから起業しようと思っている方も多いと思います。そういう意味で、どういう目線でベンチャーキャピタルの方と話していけばいいか、康井さんの立場から言えるアドバイスがあればお願いします。

康井:私も、VC時代によく話をしていたのは、投資判断で大事なことは、とにかく2つだという話です。極論、初期の数字は当てにならないから、見てもあまり仕方ないという話は良くしていました。

 大事なことの1つ目は、TAMと呼ばれる、潜在市場規模(Total Addressable Market)です。絶対に小さい池で大きい魚になるな、できるだけ大きな池で泳げということです。「小さい魚でもいいから、大きな池にいることが大事」というのが鉄則でした。それからもう1つはチームです。とにかく「人」です。それに尽きます。

 いい人って何だろうというのはとても難しいのですが、そういうことを大の大人が真顔で議論をしていました。DCMにはシリコンバレーで何度も会社を上場したようなパートナーがたくさんいたのですが、「創業者が仲間を連れてきたのに、Weとは言わずに、ずっとIと言っていた」とか、そんなことすら議論されています。

 もちろん、Weと言えばいいわけではないですけどね(笑)ただ、TAMとチーム。この2つが大きかったというのは、VCの立場では感じていました。でも、いざ起業家になってみると、自分のことを自分で客観視するのはすごく難しいですね。こちら側の立場からすると、大きなビジョンは当たり前なんですけど、大きな夢を持ち続けられるかというのが、一番大切なのではないかなと今でも思います。

 創業初期は「うちに遊びにおいでよ」で徐々に巻き込んだ

――会場からの質問で初期のメンバー集めに関するものがあります。最初は6人でスタートしたんですよね?

康井:いや、最初はしばらくの間、社員はいませんでした。アルバイトを雇ったりしながらやっていました。

 本間:当時、珍しいなと思ったのは、今でこそパートタイムで入ってもいいよとか、優秀な人をゆるく囲いながらやっていくスタイルはありますが、2012年当時は、そういうのは主流ではなくて、スタートアップって「とりあえず、今すぐフルコミットでやってくれるやつを連れて来い」みたいな感じだったんです。康井さんは巻き込みたい人をマンションに招待して、一緒にごはんを食べるということをやっていた記憶がありますね。最初は、そんなにたくさんメンバーはいなかったですよね。

 康井:友達に「家に遊びにおいでよ」って言って来てもらって、「ちなみにさ、これ悩んでいるんだけど……」って言って宿題を渡して、また来週遊びに来てねっていう感じで(笑)

 ――知らぬ間に巻き込まれているのですね(笑)

康井:そんな感じでしたね。でも、従業員の2番目の人、3番目の人は、LinkedlnFacebookで見つけました。人を採用するのも確率論を信じています。例えばヒット率を5%と仮定したときに、20人に声をかけて1人が仲間になってくれれば良い。今月あと3人増やさなきゃいけないとなったら、60人に声をかけないといけないので、その60人にどうやって声をかけるかですよね。月間で平日20日しか稼働できないとすると、13人は会い続けないといけない。ひたすらSNSを活用したり、知り合いに紹介してもらったりしていました。

 ――それを決めたら、とにかくアクションしたと。

康井:そうですね。最初の6人は、2番目がデザイナー、エンジニア、エンジニア、ビジネス、ビジネスでしたね。

 ――その順番で6人ということですね。皆さん、今も働いていらっしゃるということですよね

康井:はい。

 ――いろいろ会場から質問が出ていますけど、一番多いのは後半お聞きしたいと思います。そのほかに、事業会社との関係で「応援団は、どういうふうに作っていますか」という質問がありますが、どう関係を作っていますかと。

本間:さっき言ったように、康井さんは、資料を作って提案とか一切しないんです。基本的に、対話なんです。「僕は、こういうことをやりたいんです」ということを言う。すると逆に周囲が考えて、まわりが動いてくれるというのは、すごくありましたね。そこは従業員もそうだし、まわりの役員もそう。事業会社の人も「それなら俺、こんなことできるぜ」みたいなことを言っちゃっているケースが多いと思いますね。

 康井:僕はなるべくパソコンではなく、スマホで仕事をしています。それは半分意図的に。これまで散々投資銀行でパソコンでの作業をやってきましたが、会社を大きくしていくことを考えたら、自分がひたすらExcelを叩いている時間というのは、やっぱり正しい時間の使い方ではない、と思っています。

 ――起業家として、正しい時間の使い方を考えることは大事だと。

康井:あと、人に仕事をお願いする練習じゃないですけど、早い段階からそれをやっていました。

 本間:さっきのリソース調達というのがまさにそのとおりです。お金や人ですね。それさえ船に積むことをやっていれば、船員は生きていけるということです。方法を間違えなければ、ですけどね。

 巨大資本参入、Pay乱立もOrigamiには追い風

――次の質問には8個「いいね」がついています。「分野の先駆者で、早くから見通していたけれど、巨大資本が参入してきています。現状について、どう行動しようとしていますか?」というものです。

康井:実は各社の参入は、僕らにとっても嬉しいことだと思っています。TAMが広がるからです。つらかったのは1年半前までで、2015年から1年半前までは、小売に行ってもQR決済自体が相手にされないことが多々ありました。

 Origami Payというのは、QRコード決済で」と話しても「QRなんて日本で流行らない。」と言われてしまうこともありました。だから、加盟店獲得をするのになかなか苦労しました。それが、今はキャッシュレスが盛り上がっている。各社の参入のおかげで市場が立ち上がってきていると感じています。

 いまスマホ決済の市場はPayサービスが乱立していると言われていますが、僕はそうは思っていません。とてつもなく大きなマーケットです。今までのオンラインの市場は、日本では14兆、15兆あると言われてきました。実社会での決済の市場はとてつもなく大きくて、小売だけで140兆、150兆の市場があって、日本の個人消費は300兆円もあります。その中の8割が現金で商売をしているので、とてつもなく大きい市場なのです。

 潜在市場規模は桁違い

――TAMが、この1年とか1年半の間にぐんぐん広がってくると。

康井:1社独占は決済市場においては起きません。これから起きようとしている大企業・実業のデジタルトランスフォームにより、いまIT企業を中心とした決済市場が、今後益々広がっていきます。

 ――ありがとうございます。もう一問だけお答えいただいて、そろそろ締めに入っていきたいと思います。「個人として起業をして、会社を成長させていく原動力はなんですか」。お金持ちになりたいとか、日本を変えたいとか。

康井:2つあります。1つは金融が得意というか、好きだということです。逆に、金融しか知らない。それこそ、学生時代にファンドに入ったときからずっと金融に接してきています。当時の中国やシリコンバレーを見て、あまりにもFintechがおもしろいなと。基本的に、情報通信で起こったのと同じことが起きると思っています。昔は、情報伝達コストが高くて、A地点とB地点の情報伝達をするのが、すごく高かったですよね。電話回線数10円、切手を貼って80円とやっていたのが、今やインターネットで無料で通信できるようになりました。全く違うマネタイズの仕組みも生まれています。

 金融も全く同じことが起きると思っています。今でこそ、まだお金の伝達コストは高くて、A地点、B時点の移動に莫大なコストがかかっています。自分のお金を引き出すのも、お金を取られています。でも、こうしたものが限りなくゼロに近づいていくわけです。そのときに、Facebookでいうメッセンジャーが、Origamiにとってのペイになるわけで、では何が残るかというと、最後はデータが残ります。Googleにとっての検索もそうですし、Uberにとっての配車サービスも、最後はデータです。全く同じことが金融で起きてくると思っています。

 当時、未来の銀行を作りたいと、ずっと心の中で思っていました。銀行には、預金・融資・為替という三大業務があって、ペイはまだ為替の一部でしかない。これまでの銀行の三大業務を、ゼロからインターネットのインフラの上でつくれる時代になってきている。それを創業から10年でやりたい、と思ってきました。10周年の2022年までまだ少し時間はありますが、必ず実現したいと思っています。

 米国で日本の凋落を感じ、「日本を良くしたい」と思っていた

康井さん:個人として起業して会社を成長させていく原動力という話で、金融が好きということのほかに、もう1つの理由があります。これを言うのは、ちょっとおこがましいのですが、日本を良くしたい強く思っています。僕は80年代のニューヨークで育ちました。ジャパンアズナンバーワンという時代です。ロックフェラーセンターを三菱が買ったとか、友だちの家に行くとソニーのものが格好よくて、任天堂が最先端のゲームを出しているというような時代でした。

 それが、だんだん大人になるにつれてジャパンパッシングとか、ジャパンナッシングとか、日本の話が本当に減ってきました。VCをやっていても、DCMはたまたま日本が強かったので特殊でしたけれど、ほとんどのVCは日本に見向きもしなかったですし、中国、アメリカにしかお金が流れていなくて、残念に思っていました。自分は日本人なので、日本からまたそういう会社が生まれたらいいなという思いは常にありました。

 ――ありがとうございます。そろそろ終わりにしたいのですが、本間さんは、スタートから一緒にやられていて、これから康井さんにどんなことを期待されて、キャピタリストとしてどうやっていこうと思っていらっしゃいますか。

 本間:康井さんとは、ちょうど10歳違いで、自分の超優秀な弟みたいな感覚が強くて(笑)。この間もシンガポールで、これからPayPayとかの競争が激しくなってくるよねって話をしていて。

 でも、2012年のときに僕がOrigamiに投資をしたいと思ったときの感覚と、今のOrigamiに対する感覚と比べると、投資した当初より今後の方がOrigamiが作り出すパフォーマンスが大きくなるという感覚があるんです。

 皆さんも、今日の康井さんの話を聞いて、ちょっと元気が出てきましたよね? その気になってきますよね? 当然、そんなに簡単な勝負ではないし、大手は大手でやっている中で、「全然認識違いますよ、こうですよ、本間さん」っていうふうに毎回言うんです。この間シンガポールで飲んだときもそんな感じでした。これだけ人に元気を与えられる人間はそうそういないだろうと思っています。

 ぜひ皆さんも、起業家としてやっていくという意味では、まわりを元気にするような人間になってほしいと思います。僕はベンチャーキャピタリストという、そういう人を応援する立場なので「そうだね。もっとやろうよ」というようなことを、ずっと続けていきたいと思っています。

 ――ありがとうございます。最後に康井さん、今日お越しになっていて、これから起業したいという方に何かメッセージがあればお願いします。

 康井:僕が創業したときは、インキュベイトファンド一択でした。

 結局、「誰と働きたいか」だと思います。これは従業員とか仲間もそうですけれど、投資家も全く同じだと思っています。

 この人はトラックレコードがあるとか、そういうこともあるのですが、それ以上に腹を割って、本当にこの人と向き合えるかどうか。それが一番大事だと思います。

 いいことばかりじゃないし、むしろ嫌なこと、嫌なことっていうと言い方が変ですけれど、創業するというのはチャレンジしかないのです。ほとんどうまくいかないですし、ほとんど思ったとおりにいかない。

 それでもこの人だったら時間を使って、飲みながらでも、真面目なミーティングでも、永久に話していられるな、ということ。もちろん起業家と投資家という関係はありますが、一人の人間として向き合えるか、ということが一番大事だと思います。

Zero to Impact編集部

寄稿者

VCが運営するスタートアップ・VC業界の情報発信マガジン「Zero to Impact」を運営しています。起業家の魅力や、スタートアップへのお役立ち情報を発信します。ベンチャーキャピタル「インキュベイトファンド」が運営。

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