2018年、インキュベイトファンドは、日本における新たなシードステージ投資家の育成を支援し、より広範な投資家を構築することを目的として、初めてゼネラル・パートナーにLP投資を行うファンド・オブ・ファンズ・プラットフォーム「IFLPシリーズ」を立ち上げた。そのプログラムの一環として、我々は日本国外――特にインド/ASEAN、米国、ブラジルに投資しているGPにLP出資を行った。
中でも、インド/ASEANに特化したファンド「IF Asia」は、過去8年間に渡り、セコイア、アクセル パートナーズ、マトリックスベンチャーズ、その他の主要な世界的投資家からポートフォリオへの追加投資を受け、目覚ましい実績を築いてきた。GPである村上矢氏に、なぜ彼がインドや東南アジアへのVC投資の機会に熱中しているのかについて聞いた。
【プロフィール】
村上 矢(むらかみ・なお)
Incubate Fund Asia 創業者兼ジェネラルパートナー
野村證券グループの東京及びNY拠点にて一貫してIT/インターネット領域のスタートアップを担当。多くの企業をIPOへと導く。
2014年にインドへと移り、現地にてスタートアップ立ち上げを経験。
2016年にIncubate Fund India(現 Incubate Fund Asia)を設立し、ジェネラルパートナー就任。
University of Illinois at Urbana-Champaign政治学専攻、歴史学副専攻 卒
インドと東南アジアのベンチャー企業を支援するIF Asiaの投資モデル
――村上さんが創業し、ジェネラルパートナーを務める「Incubate Fund Asia」について教えてください。
Incubate Fund Asiaは、インドのベンチャー企業に特化した投資ファンドとして、2016年に「Incubate Fund India」として設立しました。
今後、インドだけでなくアジア全域に投資対象を広げるため、3号ファンドから「Incubate Fund Asia」に改名しています。今は3号ファンドをファイナルクローズしたところで、現時点ではインド企業への投資が9割を占めていますが、これから少しずつ東南アジアにも投資していく計画です。
――東南アジアは広くて国の数も多いですよね。どういう地域を見ていますか?
今は、シンガポールとインドネシアに注力しています。その理由は、ベトナムやタイなどにも良い会社はあると思うのですが、投資対象とするエリアを広げすぎてしまうと現地のキャピタリストやファウンダーと濃い関係を築けないのではないかと考えているからです。
まずは特定の国にフォーカスして、現地で少しずつ「Incubate Fund」というブランドを強めていく。その上で、もしかしたらまた何年後かに別の国へも展開するかもしれません。「シードラウンドでリードVCとして投資する」をモットーとするIncubate Fundとしては、そういうやり方でしか勝てないと考えているので、今はインドネシアとシンガポールにフォーカスしています。
――IF Asiaの規模はどのくらいなのでしょうか?
シードファンドとしてのAUM(運用資産額)でいうと約70億円です。主にインドのシード期のスタートアップ企業に特化して投資していて、これまでに3本のファンドを立ち上げました。
また、2023年に三井住友銀行とインキュベイトファンドが共同で「SMBC Asia Rising Fund」を立ち上げています。こちらは、地域としてはIF Asiaと同じくインドと東南アジアに投資するファンドですが、シード期ではなくグロース期のフィンテック企業への投資に特化したもので、三井住友銀行のCVCです。このファンドのAUMは300億円程度で、IF Asiaと合わせて370億円程度の資産を使ってインド及び東南アジアで投資していく体制になっています。
――これまでにIF Asiaがインドでどのように動いてきたのか、気になります。
基本的には日本のインキュベイトファンドと同様に、ファーストラウンドでリード投資家として投資しています。投資実行してから特に1、2年間はハンズオンサポートも行います。
インドのような大きな国ではシリーズAで、Accel Partners やPeak XV(旧 Sequoia India)、Matrix Partners といった米系のトップティアファンドやInfo Edge 、Chiratae といったインドのトップティアファンドからの投資を受けられるか否かで、その後の成功確度がかなり変わってきます。そのため、自分たちがシード投資した会社が「シリーズAの資金調達を、トップティアファンドがリード投資家となる形で成功させること」にかなり力を注ぐファンドになりました。
シリーズAが達成された後の動きは、日本のインキュベイトファンドとは少し違うかもしれません。というのも、僕らがシード投資を実行して0→1の事業立ち上げに成功したのち、その1を100にする、たとえば10億円の売上から100億円の売上へ大きく伸ばそうというのは、もしかしたら僕たちよりもトップティアファンドのほうが得意かもしれない。その場合、僕らはあまり出しゃばらず、少し引いた立ち位置で投資先に対して必要なサポートをするように心がけています。
ただ、創業時のアイデア出しからコミットして、起業家と一緒に会社を立ち上げていくやり方は日本のインキュベイトファンドと同じです。業界にはこだわらず、いいなと思ったら何でもやります。
軌道に乗るために現地で培った信頼とネットワーク
――業界を限定しないとのことですが、これまでどういうビジネスに投資してきましたか?
過去に投資してきたのは、半分程度がB2B Eコマースやロジスティクスといったサプライチェーンに関わる事業です。B2CよりB2Bのほうが多いですね。
B2Cでインドの14億人にアプローチするには、マーケティングや広告にコストが多くかかってしまいます。我々のような小さな規模のファンドでは必要な資金を供給し続けられず、いずれ投資先がガス欠を起こしてしまうリスクが大きいのではないかと危惧していました。
そのため、結果としてB2Bの事業への投資が多くなっています。営業努力で、ある程度コストをコントロールしながらプロダクトやサービスを拡販できるB2Bのほうが、リード投資家としての責任が果たせると考えていました。加えて、私が個人的にサプライチェーンやB2Bが好きだから、という理由もあるとは思います。
今はまた違った領域、たとえば日本でも一時期盛り上がっていたD2Cブランドの事業などにも投資しています。優良なブランドが多くあり、ブランド間の競争も激しい日本では、なかなかD2Cの事業でユニコーンを生み出すのは難しいと思いますが、インドではそれができます。
わかりやすく言うと、日本の高度経済成長期が14億人の人口規模の国で、モバイルインフラが整った状態で来ているイメージです。まだまだローカルブランドが不足している中で、若者の可処分所得が大きく増えていく。ここには大きなチャンスがあります。
D2C以外では、インドで製造したものを海外で販売するクロスボーダーのコマース事業に、B2CかB2Bかを問わず注目しています。また、決済や本人確認など必要なデジタルインフラが高度に整備されているインドにおいては、フィンテックにまだまだ大きな可能性があるので、引き続き注目しています。
――トップティアファンドからの投資を受けられるような優れた起業家とは、どのように出会うのでしょうか?
IF India設立当初は1人で動いていたので、とにかく現地の人と会っていました。VCやスタートアップ、それから監査法人や弁護士といった関係機関も含めると、設立からの1年半ほどで対面で2,000人以上の方と会っています。頂いた名刺を数えたら2,000枚以上あったので、「あぁ、会ってるな」と(笑)。
初めはより好みせず、たとえばピッチ資料を見て「これはうまくいかないかもしれない」と思っても、面談を断らず、積極的に人と会い続けました。そうしてとにかく面談の量をこなしていく中で、「インドにおいてバリュエーションはどういう水準感なのか」、「どのくらいのトラクションがつくと、どういう評価をされるのか」、「優秀な起業家と平均的な起業家の違いはこういうところだな」、「このVCはこういう見方をするのか」、そういった自分の中でのモノサシを肌感覚でつかんでいきました。それを身につければ、そのモノサシに当てはめて戦略を練ったり投資判断を下したりすることができるので、まずは量をこなしていましたね。
その期間で、インドのスタートアップに携わるかなりの人に会ったと思います。すると、徐々に「Incubate Fundの村上」がエコシステムに認知されるようになり、僕らを助けてくれる人たちが現れました。「日本からインドに来て、ゴリゴリ動く面白いやつがいる」と思われたのだと思います。その人たちが多くのキーパーソンへ紹介してくれたり、さまざまな面でサポートしてくれました。
思えば、これは野村證券の新人時代にやったことと同じなんですね。IPOの知識もベンチャー企業のネットワークもない、大学を卒業したばかりの新人が、ポンっと名刺の箱だけ渡されて、「IPOの主幹事証券のマンデートを取ってこい」という指示が出される。今考えてもむちゃくちゃだなと思うのですが、そんな中でベンチャーがいそうな渋谷や五反田あたりで「社長に会いたいです!」という飛び込み営業をひたすらこなしていると、段々なんとなく業界がどう動いているか分かってくる。そして、VCや監査法人の方など「頑張ってる野村の新人がいる」として応援してくれる方たちに出会い始める。そうすると、急速にいろいろなことが回り始めます。何も見えない初期の段階では「しのごの言わずにもがけるか」が、何をするにしても結構大事だなと思っています。
――根気強く営業してきたのですね。
その後、現地で知り合ったラジーヴ・ランカが2号ファンドからジョインしました。彼はインド工科大学ボンベイ校の出身で、創業者コミュニティと投資家コミュニティに独自の強固なネットワークを持っています。彼が大学時代を過ごした大学寮の同じ棟だけでも、同級生から4、5人の名だたるベンチャーキャピタリストが生まれています。彼にジョインしてもらうために6カ月間かけて口説きました。ファンド立ち上げ初期は自分1人で活動の幅を広げてきたけれど、2号ファンドとしてレバレッジをかける段階になってからは、ローカルな人的ネットワークも活用してアプローチしようと考えました。
彼のWhatsAppを見ると仕事関連だけで40グループくらいあって、VCをはじめとする、さまざまなセクターの起業家のグループに参加したり、彼が管理したりしています。おそらく数千人とつながっているので、彼のネットワークがIF Asiaの成長を加速させていることは間違いないですね。4年間一緒に働いてきて、彼には全幅の信頼を寄せているので、3号ファンドからはパートナーに昇格してもらいました。今後はIF Asiaにおけるインド投資の責任者として、ファンドの成長の一翼を担ってもらいたいと思っています。
――村上さんは、家族と一緒に日本からインドに移住しましたよね。そこまでやるからこそ、できることもあるのでしょうか。
それは明確にあると思います。インド現地では新参者のファンドで、しかも自分で起業家を見つけてこなければならないシードファンドとして活動する限り、立ち上げから2、3年は意思決定権を持った人間が現地に住んでいると、ソーシングは圧倒的にしやすいと思います。そして、ローカルコミュニティから信認を得るという意味でも「住む」ということは重要なことでした。
特に日本の大企業では2、3年でジョブローテーションして帰国するケースが多いので、現地の人たちもそういう目で見ています。「どうせ日本に帰ってしまうのだろう」と思われるところから、「インドに家族と住んで動いている」ということで本気度が伝わるのはあると思います。
最近は日系VCでインドに移り住む人が徐々に増えてきましたが、僕たちがファンドを設立した当初はそれを誰もやっていなかったと思います。その分、「インドに移り住んで動く日本人の投資家は、村上しかいない」と思ってもらえて、レバレッジが効きやすかったのかもしれません。家族を説得してインドに住むのは並大抵のことではないので、それを実行するキャピタリストや起業家が増えてきているのはとても良いことだと思っています。
――移り住むことを受け入れる家族がすごい、という説もありますよね。
そうですね。インキュベイトファンド代表の本間からも、そう言われています。「村上さんも頑張ってると思うけど、突拍子もない意思決定についてきてくれて、不満も言わずにサポートしてくれている奥さんが一番すごい」って(笑)。インドに移る前は野村でニューヨークに駐在していたので、「大企業駐在員としてのニューヨークから、事業立ち上げのためのニューデリーへの移住」をすんなり受け入れる奥さんはなかなかいない、ともよく言われます。妻にはいくら感謝してもしきれません。
Captain FreshとYulu、IF Asiaが手掛けるユニコーン候補の企業
――IF Asiaの代表的な投資先について、教えてください。
僕らが投資した中で今一番成長していて、成長するスピードも速いのは「Captain Fresh(キャプテン・フレッシュ)」という会社です。水産物のB2Bコマース事業をグローバルに展開しています。2020年創業で、今年の売上は日本円で1,000億円を超えるところまで伸びています。単月黒字化も達成していて、今年は通年でも間違いなく黒字になる見込みです。創業から4年で売上1,000億円と黒字化を達成するようなスタートアップは、日本ではなかなか見ませんよね。
Captain Freshはインドを拠点にしていて創業者と約半数の従業員もインド人ですが、世界の6都市に拠点を持ち、売上の9割程度は海外売上となっています。これまでにもインドからグローバル進出して大きく成長した会社はたくさんありましたが、そのほとんどが SaaSなどのソフトウェア関連か、BPO/ITOの会社でした。そういったソフトウェア産業関連とは違う領域でグローバルに急成長しているので、もしかしたら「インド初のグローバルサプライチェーン企業」として認知されていくのではないかと考え、期待しています。
資金調達先にはIF AsiaのほかにAccel Partners、Tiger Global、Matrix Partners、Prosus (Naspers)、Ankur Capital、SBI Investment、Evolvence、British International Investmentといった錚々たる投資家がそろいました。面白いのは、投資家の顔ぶれも、日本、インド、米国、南アフリカ、中東、英国とグローバルなことです。このような会社に対して、創業して間もない時期に、VCとして最初に投資できたということは自信になっています。
――ほかの投資先は、いかがですか?
電動スクーターのシェアリング事業を展開する「Yulu(ユールー)」という会社に、1号ファンドから投資しています。Yuluは今、インドの電動スクーターのシェアリング市場の中で圧倒的トップのポジションを確立していて、IPOも狙えるところまで来ました。
Yuluの創業者であるアミット・グプタ氏は過去に、InMobiとGlanceという2社のユニコーン企業を創業者として生み出しているシリアルアントレプレナーです。Yuluは彼が起業した3社目の会社で、この会社も今ユニコーン一歩手前です。
当初、僕らが投資したときは、Yuluは電動スクーターではなく自転車のシェアリング事業を展開していました。しかし、あまり上手くいかず、創業して半年で電動スクーターのシェアリング事業にピボットした結果、大きく成長しました。
インドの場合、ビジネスモデルは変わっても「解こうとしている大きな課題は変えずに」「優秀な起業家があきらめずに勝負していけば」、会社が成長していくことは多いと思います。今回紹介したCaptain FreshとYuluを見ても、創業初期のビジネスモデルからは大きく変化しているのが分かると思います。
とにかく重要なのは、猛烈に優れた起業家を見つけて、その会社を創業初期から支え続けることです。インドをはじめとした大国、つまりは市場が大きいことにより起業家間の競争も激しく競合の数も多い国においてシードVCとして成功する上では、これ以上に大切なポイントはない。そして、逆に言うとこの一点さえブレなければしっかりリターンが出せると感じています。「猛烈に優れた」というのがとても大事なポイントで、「かなり優秀」ではダメです。「ちょっと、これはレベルが違う優秀さだ」というくらいの起業家に投資していく。そして、そういった起業家から選ばれる投資家になっていく。これしかないと思います。
――グローバル展開やピボットについても、起業家と一緒に考えているのですか?
はい。たとえばCaptain Freshでは、グローバル展開すべきか否かということを、創業2年目のタイミングで取締役会で大いに議論しました。この点においては、シリーズAでAccel や Matrix Partners が投資家として参画してくれたことが大きかったです。
彼らは投資実行後の最初の取締役会で「Captain Freshがユニコーン企業になるのは間違いない。それが1年後なのか、3年後なのかは市場環境や投資家のセンチメントもあるので分からない。ただ、私たちはユニコーンになりうるから投資したのではなく、デカコーン(1兆円規模の企業)になる可能性を感じているから投資したんだ。そのためには、少なくとも2,000億円から3,000億円の売上を達成する必要があり、5年以内にそこまで成長する会社をつくりたい。これを達成するには、インド国内に閉じていたらほぼ不可能なので、グローバル展開する必要がある。そのために、アメリカやヨーロッパ、東南アジア、中東についてもしっかりと情報収集し、戦略を練らなければならない。そのために必要なリソースは我々も存分に提供する」と言いました。
その言葉をきっかけに、コロナ禍で海外渡航がしにくい環境だったにもかかわらず、創業者のUtham Gowda氏は世界中のウェットマーケット(豊洲市場のような鮮魚市場)を200カ所以上、自分の足で回りました。その中で自分たちがインドでつくっているものがアメリカやヨーロッパと比較してもかなり進んでいると気づき、そこから「これはグローバルでもいける」と感じ、グローバル展開に大きく舵を取るに至りました。
僕らが率先してグローバル展開を推したというより、世界のトップティアファンドが入ってきて、彼らが創業者の視座をグッと引き上げた。そして、この創業者はその視座に基づいて事業を作り、動かすだけの実行力をもっていた。これがグローバル展開を成功に導いてきたのだと思います。
――トップティアファンドとのやり取りで感じる違いはありますか?
Captain Freshだけでなく、我々の投資先を見ていると、トップティアファンドが参加したことにより、取締役会や戦略会議の質が明らかに上がっている印象があります。もちろん、各ファンドやキャピタリストによってもアプローチはかなり違いますが。
たとえば、取締役会に関して言えば、彼らの多くは起業家に資料のフォーマットを渡して、60~70ページの詳細な資料を作らせます。会議に参加する投資家側はこの資料を事前に読んでいる前提で会議が進むので、取締役会が月次レポーティングの場になりません。とても活発な議論が2、3時間に渡って行われ、戦略や採用に関する具体的な話や、時には外部アドバイザーも交えてかなり深い話し合いも行われます。
グローバルな視点やインドローカルな視点を持ち、長年の経験がある彼らは、持っているネットワークや人的リソースも豊富です。そのため、我々としてもまだまだ学ぶべきことが多く、キャッチアップするために事前に勉強して会議に臨んでいます。毎回、「何か発言しなきゃ」「ちゃんとバリューを出さなきゃ」といった気持ちで会議に臨んでいるので、まるで新入社員にでもなったかのように感じることもあります(笑)。
後編につづく
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