投資家と起業家の関係はいつ始まり、いつ終わるのか。
前者を断ずるのは簡単だ。出会いがあった瞬間こそ、始まりである。では後者は。「金の切れ目が縁の切れ目」の言葉通り、手痛い失敗と共に関係を失うのか、あるいは駆け抜けた先にあるイグジットとリターンをもって、良き意味での切れ目となるのか。”終わり”を定義するのは、なかなかに難しい。
ビットバレーという言葉に沸く90年代末に始まった、インキュベイトファンド赤浦と宇佐美進典氏の関係性は、紆余曲折をたどりながら、VOYAGE GROUPというファンド最大級のポートフォリオとして結実した。インターネットビジネス黎明期に端を発し、大きな成果を出した今も、なお途切れることのない投資家と起業家の併走のストーリーを、当事者の2人に聞いた。
幕を開けたのは、熱狂
ーそもそもお二人の出会いは、いつまでさかのぼるのでしょうか。
宇佐美:99年じゃないかな。まだVOYAGEという社名になる前のことです。
赤浦:インキュベイトファンドが生まれたのも99年。ですから、宇佐美さんとの仕事は、ファンドとしては最初期のものです。出会った当時はビットバレーバブルが華やかりし頃で、投資関係者みんなが半狂乱だった記憶があります。そんな中、あるイベントが縁で宇佐美さんと出会い、すぐに出資を決めた。
宇佐美:当時、あるベンチャーキャピタリストに「今月中にあと〇億出資しないと、ノルマが達成できない。なんとかしてくれないか」と言われたのを今でも憶えています。インターネット業界はまさにバブルでお祭り騒ぎでした。
ー当時は、そんなスピード感で出資が決定していたと?
赤浦:インターネットがこれから圧倒的に広がっていくことを、我々は確信していました。まだ実像こそありませんでしたが、「このチャンスは、狂ったもの勝ちだ!」という雰囲気でしたね。
宇佐美:プレイヤーの数も限られていたので、集中的にお金が集まっていました。今では考えられませんが(笑)。
赤浦:当初、宇佐美さんはインターネット上のユーザーの行動、嗜好、興味動向をID経由で取得し、マッチング精度の高い広告を打つ、というビジネスモデルを持っていました。それを聞いて「いいね!すぐに出資しよう」と。
宇佐美:『MyID』という名のサービスで。今で言うFACEBOOK広告のようなイメージです。が、実際にやっていたのは懸賞サイトでした。あまりにも時代を先取りしすぎて、理解されなかった(笑)。
それは伴走か、奔走か
ー当時から売り上げは立っていたのですか?
赤浦:よそとバーターで広告を打ち合う以外の売り上げは、全然立っていませんでしたね(笑)。
宇佐美:「valentine.ne.jp」みたいに、バレンタインやクリスマスのドメインを取って、イベントサイトみたいなものも手がけていました。それもイベントが終わったらサイトをクローズしていたので、全く会社のストックにならないという(笑)。
赤浦:それでもイベントまでにサイトを用意しないといけないから、みんな締め切りに追われて、寝ないで働く。でも売り上げは上がらない(笑)。その当時、すでに20〜30人くらいの会社になっていましたが、売り上げが上がらなくとも、経営層、スタッフ、そして僕も含めて全く不安がない。理由は分からないけど、皆が熱くなっていたんです。
宇佐美:言っておきますけれど、2001年の6月に単月黒字になっているんですよ(笑)。でも、もっと会社を安定させないといけないから、M&Aの道を模索し始めたんです。僕と赤浦さんで色々なところを当たって、すごく評価してくれたのがサイバーエージェント(以下、CA)でした。こうしてCAの子会社になったのですが、いずれ独立した企業に戻る、という前提はありました。
ー会社を売ってお終い、という感覚ではなかったのですね。
赤浦:CAの下にあることで、学びも大きかった。ラップ管理のような売り上げの追いかけ方や、なにより人を大事にするという経営の考え方は吸収できたように感じます。
宇佐美:それでも、何かにつけて藤田さん(藤田 晋氏・株式会社サイバーエージェント代表取締役社長)に、「独立させてくれ」とは言い続けていましたね。もう藤田さんがうんざりするくらい(笑)。僕がCAの役員になって、数年はECナビ(VOYAGE GROUPの前社名)はCAの一員として地力をつける、と藤田さんに約束して。その後、機が熟して再度独立を打診して、いい返事をもらったのですが、独立のための資金を1か月くらいで集めなくてはならなくなったんです。
赤浦:そこで僕と宇佐美さんで、投資してくれそうな会社をリストアップして、手分けして片っ端から当たっていったのですが、全滅(笑)。そんな中、永岡さん(永岡英則氏・現VOYAGE GROUP取締役CFO)が1社だけ当たっていて、そこがいい返事をくれた。「まさか!」という思いでしたよ。しかし、結果として、VOYAGE GROUPはその投資会社にとって、最大級のリターンを生み出したんです。大成功ですよね。
イグジットの、その先
ーVOYAGE GROUPの規模がどんどん大きくなっていく。それに付随してお二人の関係性も変わっていくものでしょうか。
宇佐美:付き合いが始まった当初から、赤浦さんは僕に「それ、いいね!」「すごいことをやろう」「真っ直ぐにやろう」と言い続けてくれました。ともすれば、目先の利益を追ったり、小細工に走りたくなるのですが、赤浦さんの言葉が、もっと本質的な部分に自分を立ち返らせてくれる。今、会社の理念として「360°スゴイ」と掲げています。僕自身の言葉のように語っていますが、本当は赤浦さんに言われた「すごいことをやろう」という一言が原点(笑)。ですから、関係性が変わる、というよりも赤浦さんは僕の原点なんです。
赤浦:宇佐美さんは、僕にとってインターネットビジネスとは何かを教えてくれた存在です。関係が始まった当時、僕は本当にインターネットのことを知らなかった。VOYAGEの前身時代、定例の営業会議にも参加していたんです。まあ、18時に始まるはずなのに、大抵始まるのは20時だったのですが(笑)。それでいて終わるのは深夜2時過ぎ。その時間中、皆が議論しているインターネットビジネスのことは、僕には全く分からない。
宇佐美:でも、一緒にいてくれるんですよ。何時間も。会議終わりのウドン屋まで付き合ってくれる(笑)。
赤浦:理解できないから、僕に言えるのは「いいですね!」とか「頑張りましょう!」とかだけ(笑)。でも長く時間を一緒に過ごして、インターネットのことを、学ばせてくれる。僕にとって、宇佐美さんとは変わらぬ仲間ですね。
ーまさに伴走者、というわけですね。
宇佐美:そういう存在がいてくれるのは心強いですよね。今、思い返せば赤浦さんの言葉はいつもシンプルで本質的だったように思えます。我々が色々と手を出そうとすると、赤浦さんは「まずはユーザー100万人を目指しましょう」と。そういう一言で、本来見据えるべきものに、ハッと気付ける。歩むべき道に戻してくれるのが赤浦さんでしたね。
赤浦:当事者意識だけは強く持っていましたね。僕も借金してファンドを始めてしまった手前、出資先には上手くいってもらわないと、命がない(笑)。だから必死ですよ。
宇佐美:普通のベンチャーキャピタリストは、イグジットしたら関係はそこで終わりです。でも赤浦さんとは、イグジットした今も定例会議をやっているんですよ。もう投資家と経営者としての付き合いじゃないですよね。実際にもう投資されていないですし(笑)。仲間、という言葉がピッタリくる。
ー赤浦さんの投資家としてのスタイルは、宇佐美さんとの関係によって変わった部分もあるのではないでしょうか。
赤浦:独立した投資家としての僕のキャリアは、VOYAGE GROUPの成長とほぼ並行しています。ですから、何か変化をくれた、ということではなく、この関係性はやはり僕にとっての原点であると思います。投資家も起業家も同じリスクをとってビジネスに挑む。お互いすごく近い距離にいて、共にチャレンジしていくというスタイルを与えてくれたのが、宇佐美さんとの仕事ですよね。そしてこの関係性のありようが、僕以外の投資家も含めて、インキュベイトファンドの基本になっていると思いますね。